妻をめとらば / 哀愁のメトラレーゼ

かつて恋愛とは、結婚とは、娶り(めとり)だった。メトリが正体だった。妻をめとる。男が女をめとる。残念ながら、女が男をメトルとは言い難い。なんせ男尊女卑の時代であった。“ 娶る ” は取る女、と書く。女を取る、とはイササカどころか野蛮の極み、されど言い得て妙は男の性(さが)というものか。

 

男と女の間には 深くて暗い 河がある。

誰も渡れぬ 河なれど エンヤコラ、今夜も舟を出す

 

黒の舟唄 (能吉利人 / 作詞、桜井順 / 作曲)

 

昭和当時、マイナー扱いだったこの唄、その後の息の長さは当然といえば当然。男と女の難解さ(むずかしさ)を言い当てている。フォークでも演歌でも歌謡曲でもない、既成ジャンルに収まりきらぬ、ただただ凄みある唄。誰も渡れぬ川?。恋人、夫婦、渡れてるでしょ?。そうなんだよねえ、渡れてる人沢山いるもんねえ…。じゃ何で歌い継がれてるわけ?。ウ~ン、そこが問題だ。

 

 

「連れて逃げてよ…」「 ついておいでよ…」 夕暮れの雨が降る 矢切の渡し

 

矢切の渡し (石本美由紀 / 作詞、船村徹 / 作曲)

 

渡る、というのはサンズイに “ 度 ”。つまりは1度きりじゃないんだね~、これが。度々渡る。度々行き来する。

長い人生、男と女、日々の暮らしは異性と異性。最初は仲良く2人乗り。

段々お互いの気持ちが離れてゆく。遠くに感じるようになる。互いの気持ちを取り戻すには相当な力が要る。エンヤコラ、腕(かいな)にモノ言わせなければならない。それはやっぱり男の業でしょう。娶る(めとる)を “ 取る女 ” なんて書くのだからネ~。

駆け落ちする二人を描写した矢切の渡し。こちらは櫓がむせんでいる。息を殺して身を寄せながら、とあるのでエンヤコラなどとはいかない。やはりコレも娶り(めとり)の極致。女を誰から取り上げたのだろう…。いずれにしても、男が取った男頼りの渡し舟。

 

 

同じ夢を追いかけ 同じ風に吹かれた だけど互いに違う事 考えていた

何にもしてやれなかった だけど貴方となら 死んでもいいと思った

 

傷心 (大友裕子 / 作詞作曲)

 

死んでもいいと本気で思える程の相手でさえ、いつの間にか相手の事が分からなくなってしまう。何を考え何を望み、何に満たされ今この時、幸せの在りかは何処なのか。主人公は後ろ姿が段々小さくなってゆく相手を、ただこうして見送るだけの結末。取るからには終わりは捨てる?。愛の破たんは取捨選択?。自分は捨てられたのだと女自身が思えば、それは娶り(めとり)の関係だと、女自身も捉えていたことになる。“ 娶る ” の概念は使い捨て時代の象徴だったのだろうか。

分からなくなってゆく。娶る(めとる)という意味。女を取る。とか言っても今や死語。待て待て、死語になったからといって “ 女を取る ” の考えが消滅したわけではない未だ昨今。搾取の時代と言うではないか。取得の時代だと聞くではないか。アア、哀愁のメトラレーゼ!。取るのがお得というのなら、メトリは男にお得?、女にお得?。

 

 

恋と愛とは 違うものだよと いつか言われた そんな気もするわ

 

真夜中のドア (三浦徳子/ 作詞、林哲司 / 作曲)

 

男特有の思考で恋と愛とは違うと結論付けた彼、説き伏せられる彼女。頭では理解しつつも、強く湧き上がる感情が理屈をいともたやすく組み伏せる。真夜中のドアを叩き帰らないでと泣く。人間を産む生き物と産まない生き物との純然たる違い。両者の間には深くて暗い河がある。

 

 

遠くひびく波の音 窓を叩く潮風

これきりと言いかけた くちびるがくちびるに ふさがれる北ホテル

北ホテル (夢野めぐる / 作詞、猪又公章 / 作曲)

 

いつまでもこのままでいいはずがない、と言う女。人の眼をさけながら、というからには許されぬ愛。劇的で臨場感の極致とも言えるこの一節、日本歌謡界史上最高の愛行為描写である。

背景は未曽有に湧く経済大国驀進中のエネルギッシュな日本。その情熱は良くも悪くも娶り(めとり)。裏返せば、女達は企業戦士達の中に男らしさを見出し、男達もそれを真に受けた時代だったと言える。キス、くちづけ、などの言葉が織り込まれた楽曲歌詞は多い。だが、この北ホテルに見られる様な力強く直接的な言い回しは他にない。時代の勢いが、日本人の勢いが、そのままダイレクトに歌詞にぶつけられた金字塔である。

だがしかし、経済大国まっしぐら時代、企業戦士の存在にNO!を突きつける事の出来る人はこの国には居なかった。“ 24時間戦えますか? ” なる仰天CMコピーに人々は湧き、それを時代にピッタリのフィーリングだと信じて疑わなかった。過労死が深刻な社会問題となっている現在からすれば、全く有り得ないコピー。かくも時代の価値観とは違うものかと改めて煮え湯を飲まされる思いだ。

イケイケドンドンの時代、経済力をつけた女性達は我が世の春を謳歌し、封建的要素の強いメトリを全否定した。取る女は取られる女、取るに足らぬとは誰かの噂?。ご冗談でしょ、と女性群。

 

 

ジョニーが来たなら伝えてよ わたしは大丈夫 もとの踊り子で また稼げるわ

根っから陽気に出来てるの 友達ならそこのところ うまく伝えて

ジョニーへの伝言 (阿久悠 / 作詞、作曲 / 都倉俊一)

 

自立した主人公はジョニーを待たなかった。彼女の未来の全ては “ 男 ” だけではなく、自身の夢を託せるものは他にも在った。それも幾つも。待たない女、それが企業戦士の時代だった。

 

 

私 待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが 振りむいてくれなくても

待つわ いつまでも待つわ ほかの誰かにあなたが ふられる日まで

待つわ(岡村孝子 / 作詞作曲)

 

いつまでも待てる余裕が女性にはあった。安定した経済力、友人達とのグルメな食べ歩き、温泉旅行に海外旅行。三高が不文律なら妥協は許さじ。時が全てを変えてしまう、そんな “ 時 ” の恐ろしさについて考える人間、この時代にはおよそ似つかわしくなかったし、現にそんなことを考える人は居なかった。約束された退職金、約束された株配当金、個人レベルでの金余り、財テクは大流行り。待てる女性の時代、それもまた企業戦士の時代だった。

名曲ジョニーへの伝言待つわ。いずれもカラオケでは余り歌われない昨今。あれほどの超ビッグ・ヒットでも時代の価値観には到底勝てない。娶る(めとる)どころか今や “ 芽取られる ”。お約束は次々上書き。待てない年金支給、待てない要介護認定、待てないベッド待ちに保育所待ち。待てないのに待たされる。

メトリ、ミトリ、ソウドリ、イイトコドリ。企業戦士から草食系へのこの落差。公家の天下から武家天下統一、明治維新から文明開化、戦争から復興、焼け跡から経済大国、バブルから低成長。忙し好きの日本人らしいこの歩み。普段マジメな分だけ、振り子が振り切れる時は半端ないのが我が日本。

 

もういやと 拒む手も いつかしら熱い胸

抱きしめる 北ホテル

 

 

 

◆写真タイトル / 時をかける症状

 

 

 

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