真夏の白昼夢か。モズが狙っていた大きなキリギリスの横取りに成功したボクは覚えたてのスキップで有頂天凱旋するも、何故か母の機嫌はヒッジョーに悪く、そのキリギリスにウチの敷居を跨がせ(またがせ)るわけにはいかないのだと!。逃がしてこいと頭ごなしに叱責され、口答えを試みようとしたが母の凄まじき剣幕に成すすべ無し。玄関口で呆然と立ち尽くす可哀そうで幼気な(いたいけな)このボク。何故母は激憤していたのか。これより3時間ほど前、今ボクが立っているこの場所、つまり玄関であるやり取りがあった。ウチの並びで2~3軒先のオバサンが、自慢の家庭菜園にて手塩にかけ育て上げたイチゴのお裾分け分けに来たのだ。やり取りは以下の通り。
「今年はあんまり沢山は採れなかったんですけどもネ、よろしければ召し上がって下さいな」
「まあ美味しそうねえーッ!!。去年も頂いたのに又こんなァーッ!どうしましょう!」
優しくて人当たりの良いオバサンと特にそんなことはない母が玄関でやり取りしているところへボクがゆらああー、と登場。
「アラ、▽▽ちゃん!。イチゴ好きかしら!。これネー、甘くて美味しいよ!」
「知ってる。いつも畑で食べてるから」
「畑?。畑ってウチの畑のこと?」
「そう。いつもイッパイ食べてる」
母の面目は丸潰れとなり、オバサンのボクに対する信頼は地に落ち、頂き物のイチゴは一粒たりともボクの口に入ることはなく、捕獲された怒りにムウムウと羽根震わせるキリギリスもまた、我が家に入ることはなかった。昼日向、いつまでも未練たらしくカゴのキリギリスを見つめていたボクではあったが、遂に観念、仕方なく垣根をはさんだ隣家の庭花壇めがけ、キリギリスを泣きの涙で弱弱しく放出したのであった。ところが、それを家の窓からたまたま見ていた同い年くらいの男子幼児、鳴り物入りで家から登場、スタスタスタ真っすぐ花壇にまで歩み寄り、土上のキリギリスをサッと片手で捕まえてしまったのである。アアッ!!。
「採るんじゃないッ、それはボクのだ、返せッ!」
「うちの庭にいたからウチのだよーだ!」
そう捨て台詞を吐き捨てると、その者はプイッ!っと背を向けサッサと家の中に収納されてしまった。なななな、何ということが起きたのだ!!。こんなの全く許せない!!、とんでもないことである!!。怒髪天を突いたボクは金切り声を発しながら垣根にまたぎ乗り、その上で垣根に引っ掛かった日向干しザブトンの様にしばし静止、それから垣根を乗り越えるというよりはやや傾いただけ、変な間があって向こうへドスリと落ちた。クッション性を考え、意図的に他より丈の高い草むら上へ落下したのではあるが、ボクの背丈より長い深緑の葉縁はカミソリの状になっていて、アアラ大変!、起き上がったマヌケ小猿の顔は何か所も切れて血まみれであった。
巻き上げたキリギリスをカゴに収納していた隣家幼児は、突如パムパムパムとコブシで自宅窓ガラス叩く鈍い音にハッと顔をもたげる!。ベランダ窓サッシに血まみれ顔の幼児が両手を高く掲げ、コブシを打ち付けながら何やら喚き(わめき)散らしているではないか!。恐れをなした彼はたちまち奥の部屋へと姿をくらます。残された化け物は尚も泣き狂いながらガラス窓叩き続けはするのだが、いつまで経とうが応える者なし。どうやら中にいるのは留守番小僧だけだったようだ。
憤懣(ふんまん)やるかたないボクは他人の庭隅、ひとしきり仁王立ちのまま青空見上げ泣き叫んでいたのだが、そのうち家壁側面の日陰辺り、そっと置かれた見かけないタイプのバケツを発見、同時にピタリと泣き止んだ。しかし余韻のエッエッ、とのシャクリ上げは糸引きながら、精魂尽き果てふらふらと目指すはバケツ、そこに在る。覗き込んでみると真っ黒な液体がドップン入っている。それを塗りたくる為の刷毛も入っている。血まみれ、鼻水、ヨダレまみれのイカレ妖精が、ゆっくりと重たい刷毛を引き出してみる。それはドロォッとした物で、液体というより泥のよう。太陽光が当たるとギラギラッと鈍い光沢を放ち、ボトンボトンとバケツ底に落下する。何という面白い物体であろうか!。
隣家、すなわちこの家。実は新築も新築、出来立てのホヤホヤ。あとは家前私道にコールタールを塗るばかりの状態だった。モダンで洒落た造り。さぞかし家族の夢と憧れが込められている事だろう。
淡いピンクに塗り上げられた家壁にキッパリとコールタールを塗り始める妖精。なにせ幼稚園児、身の丈は知れている。だから塗れるのは下の部分だけだ。ボクは丹念に一筆一筆、真心を込めて塗り進んでいった。そうするうち、何か自分がひどく大人になった気分に襲われ、自ら感極まり、途中、流れ落ちる涙で壁が見えなくなったほどだ!。
キリギリスの魅力など、この愉快さに比べればラムネ一粒の価値もない。途方もなく盛り上がるこの充実感!!。これが刷毛、これが絵具というものか!!。これこそが絵を描くということなのか!!。新品マッサラ一戸建ての壁面、その第2面を快進撃中の悪魔、運良く帰宅したヤツの母親によって捕獲される。その母親の眼前、気の遠くなる様な恐ろしい全貌が明らかになった時、バケツのコールタールはほとんど底をつきかけていた。ボクの園児制服の真っ白な前掛けは墨汁浴びて真っ黒。その実それは墨汁より全然重い。洗濯など到底不可能なその汚れ、そして鼻を衝く強烈なタール臭!。
夕刻、隣家のアルジとその仲間が数人、我が家へ怒鳴り込んで来た。凄まじい剣幕で両親を罵倒している。アルジは体育の先生で柔道黒帯だったとか。それらの声が2階で熟睡しているボクの所にまで聞こえてきていたはずだけど?。
そんなことでは起きないなあ~。今日はお仕事一杯したもん。
◆写真タイトル / いかに居ます父母 つつがなしや友がき
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