男子アイスホッケー決勝 / 落ちてゆくスティック

Title : 軌跡

 

 

ピョンチャン・オリンピック男子アイスホッケー決勝戦、OARの優勝ゴールが決まる。次の瞬間、OARの選手達の手から次々に力強く握りしめられていたスティックが氷上に落ちていった。

ボクは不思議な面持ちでその光景を眺めていた。脳裏に浮かんだのは戦場で次々に兵士達が武器を大地へ落としてゆく映像。それがリンクと重なる。

 

いつの日か。

BABY・METAL藤岡幹大さん追悼

Title : 私の命さん

今年1月、音楽ファンに衝撃が走ったBABY・METALのギタリスト藤岡幹大の死。日本どころか世界中のヘビメタファンを驚嘆させ、斜に構えたロックファンを熱狂させ、文字通り世界を席巻し続ける奇跡のサウンド・マシーン、

BABY・METAL

3人のBABYは壮絶な演奏を刻み出す4人の男達を軽々としょい、まるでサイボーグの様に歌い、そして踊る。一糸乱れぬ研ぎ澄まされた、人間業ではない奇跡のダンシング。振付がスイングするなどということは有り得ない。だが紛れもなくスイングしている。今でもなお信じることが困難な程、3人の動きは人間業ではない。しかし血の通った人間なのだから汗ばむ。それを見てかろうじてサイボーグではないことを確認する。

世界中を唸らせた3人のBABY。そしてMETALの王道を行く4人の男。いずれ劣らぬ名プレイヤーの壮絶さは今更ここで語る必要もない。それはレディGAGAも全く同意見だろう。

ひとことだけ言わせてもらうと、偉大なカルロス・サンタナは指が動かなくなることを嫌い、カウチでTVを観ている時でさえギターをつま弾いていたというが、私は藤岡幹大のギタープレイに一層鳥肌が立つ。一体どれほどの執念と時間をネックに注ぎ込んでいたのだろう。一音一音に一切の雑音の入り込む余地のない旋律の速射演奏。妥協を許さぬその一音の音色こそ一流交響楽団の音だ。

 

私が恐れおののき、さいなまれるのは “ 死を招き入れる” 行為。死のイメージに親しむと死神が来る、という世界的に根強い迷信。

XJAPANのHIDE。彼は死に焦がれ死のイメージをまとい続けた。名曲ピンク・スパイダーにもそれが色濃く綴られている。

YOSIKIの歌詞は自殺願望をストレートに押し出すが、彼の死と向き合う姿勢は心の苦痛を終わらせるという手段に終始しているのであって、死の世界への無邪気な憧れとは全く違う。

METAL達は死に装束を思わせる出で立ちでステージに立つ。極めて日本的であり、とりわけ海外では印象深いものとして強烈なインパクトを与える。

比叡山延暦寺の修行僧達は死に装束を着て修行に出る。いつどこで倒れ、そのまま果ててもよいように。

これは迷信の話だ。単なる迷信でしかない。亡くなった藤岡幹大を冒涜するのかと激怒されそうだが、尊敬するギタリストを冒涜することなど有り得ない。他の3人もそうなる等と馬鹿げたことを言いたいわけでもない。

エイズが世界で問題になり始めた頃、私の友人が病的に人の血に触れることを怖れたことがあった。

彼は外出先で始終、「これは血じゃないか?!、これを、ここをよく見てくれ!」と騒ぎ出す。苦笑いしながらベンチの隅を見やると、驚くべきことに血液らしきものが付着しているのが見てとれた。そんなバカげた偶然が何回かあった。

気にすればするほど、相手の対象物は自分が気に入られたと思いすり寄って来るものだ、という迷信がある。だが、死のイメージを追及する人々が必ず死に急ぐというわけではない。

日常、死のイメージを身近に感じ親しんでいると、危険に対して油断が生じやすくなるのではないか、というのが私の真剣な結論だ。

偉大な藤岡幹大は帰らぬ人となった。彼の死を絶対に無駄にしたくないと思う。3人のMETAL、そしてあらゆる方々にお願いしたい。

いついかなる時も我が身を大切に。自己防衛だけは怠りなく。そのハードルを一層高くレベルアップして頂きたい。

そうして、もうひとつ。「死ね」などと人に口走ったり書いたりする人、即刻やめるべきだ。二度と言わない、しないと誓いを立てるべきだ。何故ならあなたは人の命はおろか死の世界をも軽んじている。続けていると何かがやってくる。迷信も信じれば人の役に立つ。人を救いもする。

 

藤岡幹大さん、心より永眠を嘆き、御冥福をお祈り申し上げます。

 

日本カーリング女子チームの魔法

Title : ヤマトナデシコ

 

 

日本カーリング女子選手が銅メダルに輝いた。TV画面を観ず他の事をしているとゲーム中彼女達が上げている掛け声が聞こえてくる。それは外で遊んでいる女の子達の叫び声と聞き分けられない。そこでハタと気づく。

外で遊ぶ低学年の女の子達は真剣に遊んでいるのだなと。

カーリング女子選手達の掛け声はそれらと何ら変わらない。バカにしているのかと勘違いしないで頂きたい。感動しているのだ。

オリンピックともなれば、選手達も視聴する私達も切羽詰まった場面を何度も迎える。手に汗握り、ナマツバを飲み、絶望虚脱状態になったり狂喜乱舞したりする。

まるで仲良し女子達が外で遊んでいるサマを窓越しに聞いているかのような空気。休憩にはスイーツで談笑。簡単なスポーツだとか遊び気分だなどと言っているのではない。

他の競技種目同様、何ら変わらない真剣勝負を演じたカーリング日本女子チーム。にもかかわらず風の様に軽く、雪原を駆ける白テンのようにしなやかだった。綿雪の様に軽やかで、そしてあどけなく無邪気であるとさえ感じ、手を止めて画面を振り返ったほどだ。

感動にはいくつもの種類がある。ハードロマン、ソフトロマンもろもろある。どの競技も心して歯を食いしばらなければ観戦出来ないわけではない。それを彼女達が教えてくれた。さわやかに、きさくな報われ方でゲームを終えた。苦しみや悲しみなど練習で感じたことは1度もなかったかのように。さりげなく涼やかに。

アナタ達はボクより1枚も2枚も上手だ。