日本人の和菓子に対する嗜好変化

Title : お~でぃお大福

 

 

日本人の和菓子に対する嗜好も、今ではすっかりサッパリと様変わりした。

昭和までは大きな福であるところの大福が大人気だったが、今ではそれも甘き夢。誰も顧みず、近頃の一番人気は “ 見たらしい断固 ” だと言うから空いた口がミタラシ団子で塞がらないというのが誰しもの実感だろう。

見たらしい断固に次ぐ二番人気は何といっても ” きな臭い勿論 ”。三位が “ 安倍の皮 ”、四位が “ 動揺時 ” 。

 

…………。

 

書いていて、これらの名称はユーザーに意味が通じるのだろうかと突然不安に襲われたので、ここでやめることとする。

You are my sunshine

Title : gesus

 

 

☆ Please, fix the original Lyrics!

〈どうか正規の歌詞に修正してください〉

 

You are my Shining

my Jack Shining 

You make me apply 

When Scull the gree

You’ll never only

How much eyes love you

Please don’t take up Shining away

 

 

Everyone please continue to modify every day join forces.

〈どうか皆で日々修正し続けてください〉

 

日本諸島とガラパゴス諸島の同一性について

Title : 「ボクは充分漬け込まれたからこそ美味しいピクルスになれたんだよ」

 

 

世界が注目する先進国日本の『少子高齢化対策』。政府の万策は対策実行開始前から尽きていた。つまり、国体保持警戒態勢最高レベルを前にいともたやすく全面降伏した。

物語が始まる前に物語が終わっている。それはつまり?。

最初から物語などなかった、と子供はママから告げられてしまう。

え?、何が何だか意味不明?。確かに。具体的に説明させて頂きたい。

 

少子で更に高齢化。そしてそれは真っただ中状態。

経済が人生の基軸全てである日本人にとって、神とは経済成長の素顔である日経平均、教会は企業、牧師は政府、そして信者である大衆は労働力。

信者が数人の教会。あらゆる意味で深刻な事態。信仰心のない者は、そんな事実に無関心だし、関心ある者は神の存在を一層知らしめなければと躍起になる事だろう。

ひとつの宗教における信者に国籍など関係ない。ゆえにキリスト教の牧師達は世界中を旅した。

政府は外国人労働者に対して、異常に高い就労条件を提示する。結果として、当然のごとく、海外就労希望者は魅力的な就労条件を提示する他国へと流入する。

つまり、政府の思惑通りの結果が得られた。

日本は世界に類を見ない特殊な事情を抱えている。島国である我が国は、長きに渡って単一民族国家を維持してきた。ガラパゴス諸島の生物達が独自の進化を遂げたように、当然我が国も独自過ぎるほどの特殊文化を持つに至った。それはあまりに根強い。

西洋かぶれだ、との海外からの指摘は的を射ているが、それは日常生活における表面的で便宜的な様式のみに留められている事を海外の人々は知らない。 “日本諸島とガラパゴス諸島の同一性について” の続きを読む

成者(せいじゃ)が街にやって来た

Title : 唯一無二になりたくて

 

 

日本には “ 成人式 ” というものがあり、自治体主催の成人式は、毎年1月日本各地で催されている。

その成人式は毎年荒れに荒れる。ほとんどは男性だが、暴徒化し馬事雑言を主催者達に投げかけながら式進行を徹底的に妨害する。

気に入らないなら来なければいいと考えるかもしないが、違う。式をメチャクチャにしたくてワザワザ紋付き袴を着て乗り込むのである。日本全国一律そうだ。

マスコミは、不況で就職難が背景にあると報じる。勿論、そういう面はあるであろう。しかし、ボクには限りなく集団ヒステリーの要素が感じられる。

ヤンキーな外見とはウラハラ、明らかに精神性が幼児化している。言葉で不満を訴える能力を持たないので唯唯、暴れる、叫ぶ。わめき散らし誰彼構わず罵る。女性陣の見て居る前だけに激しく高揚する。

成人式場でわざわざ自分は幼児であると宣言していることになるのだが、その自覚さえ思いつかない。これが幼児性たる根拠。

成人式出席の紋付き袴、着物、は仮装ではないが普段とかけ離れた自分の姿という点では、ある意味仮装気分と言える。

近年、渋谷におけるハロゥイン仮装大集団は有名だが、こちらは成人式の様に若者達が暴徒化することはない。

両者の違いは一体何か。

成人式は主催されたものに出席する形式。最初から最後まで成人者は受け身。ハロゥインは能動。自分達が主役で制約がない。

自分が主役、自分が前面に。歪んだ自己主張、存在の確認。

理由なき炎上騒ぎも、これが原因だ。

SHAMELESS / アメリカ人気ドラマ『シェイムレス』俺たちに恥はない

Title : Two Birds

 

 

日本人の飲酒率は高い。その大半は “ 楽しいお酒 ” ではなく “ 苦しさをマヒさせるためのお酒 ” と最近の調査報告。毎年の自殺者が数万人を維持も納得だ。

例えば、アメリカのドラマ『SHAMELESS』の様に、日常の現実と真っ向から向き合い、きれいごとではない等身大の愛と絆をテーマに人間のあるべき姿を探る、といった秀逸なドラマが日本で作られることはない。

エミネムのラップ歌詞は醜悪と見なされ、無意味で虚ろな使い古されたコピー歌詞に酔いしれる国においては、現実逃避こそが社会の模範。

その行き着く先、ゴールが今、視界に入った。

VICTORY

Title : victory

 

 

自分の気分が悪くならない耳障りの良い言葉だけを話し、聞く。厳しくもない話を厳しいと感じ自分が落ち込む前に撤退する。逃走する。

まるで落ち込む自分、傷つく自分が悪い状態だと勘違いしているかに見える。

キミが感動秘話に涙したその選手は、幾度となく落ち込み傷つき立ち直れない日々があったと公表しているのに。

きみは嘘つきで偽善者だ。落ち込んだり自信を失くしたり、くじけてしまったり座り込んで号泣する事などみっともないと決めつけ正規の旗印だと言う。

そういう種類のみっともなさは悪い事ではない。

落ち込み、くじけ、無力さを認めることをみっともないことだと勘違いして触らぬ神にたたりなしと一目散に逃げだす事は、みっともないとは言わない。

卑怯者と呼ぶ。

耳障りの良い話しかしない人に最高の好感度を付け、ファンになったり恋人になったりする。さとす人を何様だとあざ笑い心地よい話が出来る人を探す。

未婚率、離婚率に歯止めが掛からない。

狭い殻に閉じこもり訳の分からぬ復讐心の塊となり、やがて人を壊す命令を下せる立場となる。

命じられた者も同類で狭い世間しか知らない。そう育てられたのではなく、そう育つ道を選んだ。

命令を疑っても相手の人格を疑いはしない。

分析力の無さは疑う根拠を見出せなかった。

このブログは耳障りの悪いブログだ。劣勢は承知の上だが。

 

追伸:何故か今月、アンドロイドのアクセスが以前の倍。???。

世界のユーチューバーに貢献する日本人

Title : 大和ダーマシイ

 

 

今や海外ユーチューバーにあまねく知れ渡ってしまった一般常識、それは

日本人は、日本の事を外人が画像で褒めると大喜びでそれを見ようとする

というもの。ユーチューバーにとってアクセス数を集めるには画像の面白さだけではなく、集客データの情報収集はそれより大事。当然のことだ。

根強い外国コンプレックスの裏返し、外人から見た『日本のここが凄い!』を見て日本人の気分が良くなることは良いことだ。グーローバルな日本!。

ユーチューバーへのアクセス貢献も出来、両者大満足。世界はこうあるべきなのだ。刺身をうまそうに食べるだけの画像なら楽勝投稿でしょ!。ただし日本人がやっても相手にされないヨー。

日本人は歴史ものが好き

Title : 「こッ、これも日の…丸……」

 

 

憲法改正のための機は熟した、と安倍首相と自民党。改正是非はここでは語らぬとして、発言したいことは他にある。

真珠湾攻撃。その全様の説明をキチンと出来ない国民が大多数の現況下、第9条改正の機は熟した、とは中国や北朝鮮に対する国民の危機感、転じて世論を見ての事かと疑わざるを得ない。

『下関フグ』といえば日本人なら誰もが知るブランド。故に、トラフグの商品価値を高めるために、下関で捕獲されてはいないトラフグも下関までわざわざ水揚げに向かわねばならない。これはトラフグに限ったことではないが。

つまり、日本人には名刺に相当するブランド名が全てで、信用基準は名前だけに頼られる。

遊んで卒業証書を手に入れただけの者も、一流大卒なら偉い人。海外諸国もそうした傾向を持つが、社会全体がそれを大真面目に容認し異議申し立てに聞く耳持たない異常性が他国と一線を画す。

真珠湾攻撃を説明出来ない自分に、日本人としてのアイデンティティーを持ちえない恥を感じず平気でいられる要因は、

昔の日本人がしたことは、自分とは全く関係がない

という考え方による。

自分勝手。かつて、カラスの勝手でしょ、というギャグが大ヒットしたように、

他人は関係ない。自由な自分に御意見一切無用。この考え容認が社会ぐるみで行われた結果、歳月を重ねるたび、負の遺産は純度の濃いものとなって今完成した。

英語堪能で意気揚々と海外に打って出る。話題が真珠湾に及んでも、

「私が生まれる前の昔の話なので、ちょっとそういう話は…」

と苦笑いしてアメリカ人と別れ、上司に商談は成功しそうです、と朗らかに笑う人の話を聞くにつけ、背筋が凍る。

仮に商談が成立しても、これでオレも国際人と胸を張る虚しさは国宝級だ。

日本企業の国際競争力低下の背景

Title : 黄金を吐く犬

 

 

“ 当社は〇〇オリンピックに協賛しています ”

協賛、とは賛成するという意味。この表現なら協賛の意味をよく理解していない大衆に良いイメージを弱弱しく与える効果を持てる。

“ 当社は〇〇オリンピックを応援しています ”

これは全く宜しくない。他人のフンドシで相撲をとり、あわよくばクリーン・イメージを濡れ手に粟で自社に持たせようという下心が大衆にミエミエ。

「そんなの誰だって応援してるだろ」と鼻で笑われマイナスイメージ太鼓判。

しかし、上記以上に企業にとって深刻な問題がある。

TV広告や商品ラベルに書き込まれたそれらのキャッチフレーズなど、その会社の株主以外、誰も見てはいないという事実。

つまりはその企業の自画自賛、一人遊び。大衆とは何の接点も持ちえない。

客観性を失い自己の架空世界に遊ぶ大衆に分析力などない。分析する姿勢が皆無なら、観察などしない。

食物アレルギーならラベルを詳しく見ることだろう。つまり死活問題などの明確な目的を持ち得ていて初めて成せるわざ。これにしても、分析や観察とは違う。

確認行為に過ぎない。

 

商品に対しての確認行為はどんな大衆も年齢性別問わず、常にこれを行う。

値段だ。価格だ。いくらか。どっちが安いか。これらは分析と呼んでも構わないが、要するに確認行為。人気商品かどうか、問題なしか、の確認。

 

確認は客観性がなくとも、分析力がなくとも可能。

 

英語の幼児教育。PTAは大方賛成。英語が話せれば世界が広がる。

日常生活の便宜性が向上。翻訳機不要、辞書いらず。自分の言葉で道が聞ける。

「日本人のアイデンティティーは何ですか」

他国で尋ねられる。identityの意味は知っているとする。他に類を見ない独自に持つ性質、という意味だ。

英語が話せても、何も知らない成人した子供だと発覚するだけなら、まだ英語が話せない方がマシ。海外の人々は日本人とは違う。ナニゲ、だとか、~的な、とか稚拙な省略造語、だとか、ユルユル、だとか、モエ~、だとか、そんな園児レベルの会話では日常を乗り切ることは不可能だ。

単発的な海外旅行における「その店の閉店時間は何時ですか」などといった会話は対話ではない。コミュニケーション交換ともまるで違う。

当時のSMAPメンバー草薙氏は韓国語をマスターし、韓国国内街中でさまざまな若者達と意見交換の場を持った。TV番組ではあったが、

「日本人は自国防衛についてどんな意見を持っているのか」と尋ねられ草薙氏は返答出来なかったと語る。

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マーベル社に捧げる声高の絶賛力

Title : New age boy

 

 

時代は変わる、と人は言う。以前にも増してそれは加速化していると、人は言う。地球規模で疑いようのない事実。口にしようが無頓着でいようが、それは誰にも止められない。

大抵の日本人も口にする。だがそれは、もっぱら生活様式を変える制度やアイテムと称する物の変化に関するものであったりすることが多い。

つまりは、内面的な概念や指向性、存在論、人生観、などはほとんどスルーされる。というよりは、そんなことには気づきもしないか、あるいは完全に関心がない。

スーパーヒーローが活躍するマーベル映画でも2016年に発表されたR指定作品『デッド・プール』は、上記の点でも実に興味深い。

例えば、現在全米で大ヒットしているTVドラマ『グッド・ドクター』の主人公は自閉症。美形や愛らしい顔の主人公であるなら、その本人が双極性障害であろうとアスペルガーであろうと視聴率に影響は与えない事だろう。

デッド・プールの主人公は顔が焼けただれており、それを画面で全面的に映し出す。つまりは人が顔をそむけたくなる要素を主役に背負わせ興行成績に挑戦したのである。勇気ある実験だとも言えるし、移り行く時代の中に在って、ヒーロー観の変化や新しき定義づけを先導しようと試みたのかもしれない。

いずれにせよ、徹底的な興行収益見込みを企画会議で検証し、もうけが見込めなければ製作費を出さないショービジネスのアメリカにおいて、このヒーローが世に送り出された事実には驚愕せざるを得ない。

収益を越えたチャレンジ。ゾンビ映画に慣れた観客の存在の後押しなくして制作は有り得なかっただろうが、このような時代のオピニオン・リーダーといった気概は日本では見当たらず、古き時代の常識と感覚をあたかも新しき物であるかのように銘打って繰り返しているだけに過ぎない現状は失望感を濃くせざるを得ない。

クリエイターが観客に迎合するだけの存在になってしまうなら、それはもはや総合芸術ではないだろう。

心的外傷、肉体的欠陥、それら致命的敗北要素を乗り越え、人々に勇気を与え、視覚的な慣れによって日常現実の悲劇を抑え込もうと言う取り組み。

それこそが真の社会的貢献であり、まさしくクリーン企業イメージの理想だ。

当社はオリンピックを応援しています、などといったユルユルで安直な物ではなく、資本金の数字の桁数ではない大企業たるにふさわしいスピリッツを求めているのだ。

新しき時代の、新しき人々は。