Title : 「停車場は割と行くネ。エサくれるオバチャン来るし。は?。飼い猫だけど一味違うエサなんだこれが」
悲しい女は 停車場で
愛した男の影を待つ
遅すぎた後悔を チケットに
男は次のバスに乗る
〈野口五郎 / 停車場〉
落ち葉の舞い散る 停車場は
悲しい女の 吹きだまり
だから今日もひとり 明日もひとり
涙を捨てに来る
〈奥村チヨ / 終着駅〉
夜明けの停車場に ふる雨は冷たい
涙をかみしめて さよなら告げる
〈石橋正次 / 夜明けの停車場〉
嫌いでもないし別れたくもない。それなのに何故か独り旅に出るオレは悪い奴と歌う石橋氏。野口氏の歌詞でも男は待つ女をすっぽかしてバスで行っちゃう。やっぱり悪い奴なの?。それとも彼女を思えばこそだったりするの?。
でも女性からすると「そんなあー!、何言ってんのよ。会ってちゃんと話してよォー!」だと思えちゃうけど…。そう考えるオレっていい奴?。
発車ベルが今にもなりそうな気配の中、片方あるいは双方、最後の本音が言えるか、あるいはソレがあるのか、そんなものはもう残ってはいないのか、もう出尽くしてしまったのか。その最後の見極めが互いに出来る特殊な場。瞬間に断ち切られるラストチャンスが潜む停車場。
お互い笑ってハグし合う。お互いの絆を確認出来る。そんな出迎えなら、見送りなら、それが路線のどこに位置する駅であろうと、その場所は始発駅。終着駅。
始発駅であろうと終着駅であろうと、互いの想いが整理されぬままの絹裂き駅となってしまうのなら、その駅は間違いなく、
停車駅。停車場。
車両が去ろうとも、人が去ろうとも、振り返る時、思い返す時、涙がこみ上げる時、経過した時の重さを突き崩す時、必ず思い出すのは、
あの駅に、いまだ停車し続けている私の、二人の、想い。説得の通用しない、聞き分けのない、私が本当の私だった、或いは私が別人だった頃の、想い。
始発駅で、終着駅で、途中停車のままで、いまだにそこに居る。
思いは聞き続けている。
ナニヲ マテバ… イイノ?