花形ではなくなったオーケストラ / 形式よりラフ・スタイル / 楽団の居場所

Title : Show Time

 

 

来たるべき近い将来には云々…。いつの世も大予言に戦慄する人類。

大衆を不安のどん底に叩き込む恐るべき予測、予言。

その道のエキスパート達により打ち上げられるアドバルーン。

石油枯渇によるエネルギー戦争、エイズによる人類滅亡の可能性…。

それらの予測が世界を駆け巡る時点で、頷ける信憑性は確かにあった。

あったが、人類は手をこまねいてはいなかった。

世界の英知、総力を結集して難関を乗り切る。

つまりは最悪のシナリオ回避。流石と言う他なく、

ただひたすら尽力される方々に敬意を表したい。

かつて、世界を全く、これっぽっちも駆け巡らない予測があった。

予測というより暗黙の事実だったから、

と言った方が良いだろうか。それは、

 

音楽は永遠。音楽は衰えず。

 

これは今なお全くその通りで、いにしえより不変の存在、

いつでも何処でも人類に必要不可欠なMUSIC。

ただ、全く信じられない落とし穴があった。盲点が。

 

クラシカルなスタンダード楽器の製造の落ち込み。

 

僅か数十年前、音楽家達やリスナー全てが完全に予測出来なかった事象だ。

世界大戦時代のアメリカ白黒TVアニメには

セリフの代わりにあらゆるオーケストラ演奏が場面場面の様相を表現した。

チャップリンのサイレント時代はもとより、

ヒッチコックの映画に至っても

オーケストラによる場面緊迫表現が大半を占めていた。つまり、

クラシック・コンサートに限らずオーケストラは、

他のあらゆる総合芸術に必要欠くべからざるものだった。

映画のテーマ音楽華やかなりし頃、それは

オーケストラ抜きには考えられなかったほどだ。

 

 

Title :エッグ・コンダクター オーケストラが蝶ネクタイだった頃

 

 

オーケストラに使用される楽器は、ジャズの楽器でもある。

やがてロックが現れ電気楽器が異様なまでに世界を席巻するが、

オーケストラ楽器はそれらと共存し、特に

ピアノやバイオリンは重要な橋渡し役を務めた。

現在も引き続き努めては、いるものの。

 

頻度が低下した。

 

ラップの台頭。これは凄い。オーケストラ楽器はおろか、

エレキギターやドラムスさえお呼びでない楽曲も多数を占める。

世界がデジタル化してゆくのに比例して、人々の感性もデジタル化を始めた。

人間性を上回る幻想世界へのダイヴ、

トランス・ミュージックがさざ波を立て始め、

人間性を前面に打ち出すラップがそのさざ波にクラッシュ。

反駁し、ダンスミュージックがそこに割って入る。

ラテンミュージックは依然ブラスと仲良し、

磨き抜かれたスタイルに拍車がかかる。

ロックもそう、ジャズもそう。

変わらぬことではオペラも忘れてはならないが。

だが、だがしかし、やはりオーケストラの出番は見る影もなく減った。

グラミー賞を見れば認めざるを得ない。

となれば、オーケストラ楽器演奏家予備軍は確実に減るというものだ。

サックスやトロンボーン、チューバを販売する楽器店を

都内で見たことがあるだろうか。あまりの店舗の少なさに呆然とする。

高価であることもマイノリティー主役の時代には不利な立場。

 

近年の映画作品は暴力をテーマとするものが非常に多い。

破壊に走るアドレナリン全開は、

秩序だったオーケストラ形式を嫌うのかもしれない。

ダウンタウンの匂いがないことに憤りを感じてみたりするのかも。

無論、映画会社ではなく大衆の要望でだ。

 

音楽は感覚。楽器の数量図式が大きく塗り替えられたということは、

要するに人間の感覚が著しく変容したという証明。

オーケストラの野望は時代に阻まれ、本来あるべき縄張りに収まったという事か。

 

 

Title : 淑女はドレスで交響楽

 

 

千の風になりたい理由

Title : 千の再会

 

 

 

圧倒的な全国支持を受けた楽曲  ♪ 千の風になって を聴いていると感慨深いものがある。人は一戸建て住宅、持ち家を望む。一国一城のアルジ。近年はマンション志向の人も富に増えはしているものの、独立した持ち家を望む人は多い。

自分だけの、自分の家族だけの自由な領域。自由な世界。

 

お寺のお墓は一戸建て住宅、都会のBOX型お墓はマンション形式。

♪ 千の風になって、では、私はお墓に居ないのだと告げる。

持ち家がお墓と言う名前に変わった、というだけではなかった。

そうではなかった。

人の役にたちたい。誰かの傍に居たい。肉体が滅び、魂だけになってなお、人の想いは変わらない。永遠に。その地に縛られる持ち家と大きな空を吹き渡る魂。そのコントラストを繋ぐものは人と人との触れあい。畑に降り注ぐ煌めき (きらめき) の風は親と子の懐かしき再現のようでもある。

 

 

生きているのに、肉体を持ち合わせているのに、度々その事を忘れてしまいそうになるボクは、度々に愚かだ。