川柳の役割を担っていた歌謡曲 / 消滅したメッセンジャー / 大ヒット曲のない時代

Title : どうしマウス?

 

 

遠い昔から、庶民が生活のあらゆる題材をモチーフに川柳を詠まずにはおれなかったように、戦後生まれた歌謡曲なる流行歌は、意図せずして日本人の聖書的道しるべとなり得る重要な役割を担った。

例えば、経済大国目指しヒタ走る狂喜の沙汰ともいえる企業戦士達の時代には、

♪ およげタイヤキくん

が大ヒットする。トタン屋根の上のネコよろしく、日々鉄板の上で焼けつくような悲鳴を上げるタイヤキであるところの労働者達。店のオジサンであるところの上司とケンカして、海に逃げ込んだタイヤキ社員は脱サラ、落伍者をほのめかしている。

結局、釣り人のおじさんに釣られたタイヤキは食べられてしまう。明らかにこの詞には警告の意味合いがあり、そのメッセージは日本中の労働者達に、いましめとしてクサビのごとく胸の奥深くにまで打ち込まれたのだった。

 

三種の神器を入手すべく、物欲爆発起爆装置であるところの高度成長期には、ウワッツラだけではいけません、愛する人も大事にネ、などと逆説的な

♪ 骨まで愛して

が大ヒットする。何にもいらない、欲しくない、あなたがいれば幸せよ、とけなげに歌う女性は水商売の女性であったり専業主婦であったりするのであろうが、どちらにせよ女性の社会的地位が非常に低かった当時の雰囲気が歌詞から匂い立ってくるようだ。

バブルお祭り騒ぎの時期は、ようこそここへ、遊ぼうよパラダイスなどといった歌詞が浮かれ爆発したし、高齢化社会に至っては、千の風になってが大ヒットした。つまり、大ヒット曲とはその時代時代の日本人の総意であったのだ。それが大前提であったのだ。

それが終わった。

それはもう終わった。

もう川柳的歌謡曲はほとんど存在しなくなり、以前のような本物の列島全土を通り抜ける疾風ヒット曲は姿を消した。

日本人を一丸と出来る統一メッセンジャーであるところの歌謡曲は衰退した。バイブルなき社会は民族の共感スローガンを失った。

笛吹けど踊らない。

今この時、てんでバラバラとなった日本人達は、唯一の利点である一枚岩主義を見失い、流転の憂き目を知ってか知らずか空虚顔。

 

恐らく、この先も修正はないだろう。