3高から4低へ / 4低から3素へ / 酸素なき社会は苦しいだけ

Title : 階段を高く上るか低く降りるか、より足を使った事実が大事

 

 

かつて、日本が好景気に沸騰中の頃、女性達は結婚相手に3高を求めた。

高収入 高学歴 高い背丈

現在進行形で陽の沈みゆく日本経済下、新たに4低が求められるようになったという。

けれど、何が4つの低さか、なんてどうでもいい様な気はする。

相手に低姿勢を求める…。それは企業間取引では当たり前のことで、スキーで滑走する時だって姿勢は低く、が原則。

本来、低姿勢なんて結婚相手どころか誰にだってそうあるべきもの。

低姿勢の真逆と言えば、高飛車(たかびしゃ)。実は、結婚相手に求めたいのは低姿勢というよりは高飛車な上から目線やめてね、が正しいのだろうけれども、

そもそも最初から高飛車な人と結婚しようとするかな。

低燃費も求めてるみたいだけど、それは車やバイクの話。今時の人々は車なんて持ちたくても持てない。皆が乗り回している唯一の車なんて高飛車くらいだ。

現在の3高

高飛車 高画質 高齢者

が日々実感の実情で、結婚相手はおろか誰しもが考えざるを得ない大問題。

低依存なんてナンセンス。日本人のDNAは親方日の丸。村社会で会社に依存、政府に依存、掃除洗濯は奥方依存で来た歴史。サムライだのナデシコなど嬉し気に口にし続ける限り、そんなもの何ひとつ変わりはしないのだから、唐突に低依存を叫んでも絵に描いたモチ。

多分、低依存の反意語は自立あたり。独立だとか。

日本人の若者について取り沙汰される自立なんて、せいぜい経済的自立。ものの考え方、処世術、人生の指針についての自立なんて誰も真顔で問い正したりはしない。

つまり、高自立もないのに低依存なんて在るはずもない。

要するに、極度にせちがらい世の中、高い低いで語り尽くすのであれば、

大学という存在が、もはや一流企業への前フリではなく奨学金地獄への招待なのだとすれば、

高学歴とは、学歴は高校まで。で良いのではないかとさえ思われる。

日本社会全てが低次元化したといわれるが、低次元とは一次元のことを言っているのか二次元のことを言っているのかよく分からない。ゲーム中毒者が増殖中であることを考えれば、画面は二次元だから、そのあたりなのだろうか。

高性能 低性能といえば問題ないが、略して低能といえば蔑視だとなじられる。日本人は未だにナンセンスな言葉遊びばかりを繰り返している。この記事もそうだ?。ア、そうか…。

高齢者社会なのに低齢者中心社会。次世代を担う人々だから。だったら真っ向勝負で育てるべき。言う事なんて聞いてくれない?。

それはそうだ。ふた昔を経て、絶対にそうなるような社会の枠組みを社会ぐるみで作り上げてきたのだから。何でもかんでも評価の基準は

高いか低いか

高水準か低水準か、高収入か低収入か。高所得か低所得か、高所恐怖症か閉所恐怖症か。

確かに、高金利か低金利かは死活問題。特に

高消費税低消費税かは。

だがしかし、高いか低いかの査定ばかりを前面に押し出すのではなく、

素直(すなお) 素朴(そぼく) 素顔(すがお)

ワタクシは、この3素(さんそ)を人間に不可欠きわまりない酸素として皆様に提唱したく思う。

低姿勢より素直、低燃費より素朴。

中途半端な低化粧(薄化粧とも)よりも素顔…。

 

あの………、ちょっと収拾つかなくなってきたので、ここでやめていいですかスイマセン。