Title : 私の事を話しながら、向き合いうつむく祖国の父と母
人間の脳内には、口では到底表現できない、祈りにも似た強い想いがある。
たとえ、自分自身がそれを意識せず、認識せず、理解出来てはいなくとも、
脳はいつもそれを夢見ている。願っている。
たとえ、自分自身がいくつ歳を重ねようとも、乳飲み子の様に脳はそれに憧れ、それを慕い、幾たびとも知れぬ悔し涙、苦痛の涙、歓喜の、感動の、怒りの涙で頬を濡らしながら、待っている。繰り返し、繰り返し、待っている。
ベースボール。我が家へ辿り着くためのGAME。メンバー9名は家族とその重要な対人関係者になぞらえられている。脳が切望してやまない家族と言う名の絆。アメリカにおいて、それは蜃気楼にも似た幻。ひとたび手に入れても、何かの拍子に音を立てていともたやすく崩れ落ちてしまう。
故に、恐怖のあまり脳が不安要素を就寝中の夢で実現させ、何とかストレスを発散させようとする様に、起床時でさえ、脳はそれを欲してやまない。
夢が見れないのなら、それに匹敵する映像を見せてくれ、と。
ベースボール、今夜の勝敗の行方。単なるチームの勝敗表ではない。観戦する私自身が求めてやまない得点1。
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ヨーロッパで野球は普及しない。家族の絆は蜃気楼ではない。
それゆえ、むしろ重要なことは、ひしめき合う大陸間、現実的にのしかかる圧倒的民族のハンディーキャップを覆す(くつがえす)夢。その視覚的実現。
フットボール。
国内に於いて競われる同国人のゲーム、ベースボール。
民族のせめぎ合い、フットボールは他国との対戦が基本。
家族の象徴がベースボールなら、楽曲『私を野球に連れてって』は至極当然だし、フットボールが祖国の威信そのものであるのなら、それは大人のゲーム。
家族とは何か。祖国とは何か。
子供達はゲームを通してそれを無意識に学ぶ。これを伝統と呼ぶ。