Title : My bird
Don’t you remember , you told me you loved me baby
You said you’d be coming back this way again
Baby , baby , baby … I love you , I really do
忘れた? 私を愛してるって言ったじゃない
この道を戻って来るからって
そう言ったじゃない
愛してるの 本当に心から
ネコは唯我独尊、気ままで自由。だけど自分1人じゃ乗り越えられないことも…。どうしよう。どうしたらいい?…。見てよ、あの立ちつくす後ろ姿!。だけどアレって、もしかしたらボク?…。それとも、キミ?。
Title : My bird
Don’t you remember , you told me you loved me baby
You said you’d be coming back this way again
Baby , baby , baby … I love you , I really do
忘れた? 私を愛してるって言ったじゃない
この道を戻って来るからって
そう言ったじゃない
愛してるの 本当に心から
Title : heart broken
It seem to me that there are more hearts broken in the world
That can’t be mended left unattended
What do we do What do we do
◇ Alone again
ボクなんかより もっと傷ついている人達は沢山いる
心の傷も 癒されないまま ほったらかしにされて
皆、どうしたらいい? どうしたら
Title : Dog & Cat (マリアとトニー)
Someday, somewhere
We’ll find a new way of living
will find a way of forgiving
somewhere …
There’s a place for us
Somewhere a place for us
peace and quiet and open air wait for us
somewhere …
いつの日か 何処かで
2人が新しく出直せるような方法を見つけて
許し合うんだ 何処かで
そういう場所がある
二人にとって “ 何処か ” という場所が
穏やかで静かで 開放感のある
“ 何処か ” がボクらを待っているんだ
ボクの海釣り相棒、ネコのモッちゃん。オスの野良猫で、釣り人に人気の堤防エリアが縄張り。ちょっと見、イタリアのダンディ・ブラザー思わせるダテヒゲ模様が鼻の下。眼の色は大好物アジのコガネ色。ボクが勝手に名付けたモッちゃんはモッサリした毛並みが由縁。釣りの最中、ボクとモッちゃんは頻繁にアイコンタクトを執る。向こうの眼力パワーが凄くって、思わず顔を向けるから目と目がいつも会ってしまう。その神秘的ではないコガネ色は、いつナンドキでもこう語る。
“本日はお日柄も良く、ネコが食べるにはちょうど良いサイズの魚各種が頻繁に釣れることが予想されております。にも拘わらず、万が一にも釣れそびれる様な事態を引き起こしますと周囲の方々、とりわけ小動物に大変ご迷惑をおかけするようなことにもなりかねませんので、心して緊張感と自覚、責任感を持って釣りに集中くださいますよう、重ねてお願い申し上げます。 敬具 平静△△年△月△日釣り座代表雑種猫モッ”。
ネコは大きな魚を噛み分けて食べることが出来ません。人間にとっての食べ頃サイズのアジ、ネコにあげても食べてくれません。新鮮釣りたての美味しい匂いがするアジをもらっても、悲しいかな食べられないのです。
モッちゃんとてノラのツワモノ、威信にかけて少しカジってはみるものの、全く歯が立たずウロコが数枚はがれ落ちただけ、という光景を最初の頃は何度か見ました。不思議とそんな時、こちらを見ようとしません。
せっかく貰ったのに申し訳ないと思っているのか、食べられない自分の能力を恥じているのか分かりませんが。とにかく、ネコが食事を楽しむことが出来る魚のサイズは10~15センチまで。
モッちゃんは小さい頃に人にイジメられた経験があるのか非常に警戒心が強く、さりとてオサカナは食べたいわけで、当初、人が侵入出来ないフェンスの向こうから顔だけチョイ出しして、「ミャン」(何かある?)でした。
ボクがやたらとモッちゃん、モッちゃんと気安く声をかけるようになり、小雨で釣り座に誰もいない時、シーズンオフでボクらだけの時、やっと釣れた小魚をフェンス越しに貰う、といった経験を重ねるうち、モッちゃんの、ボクという人間に対する警戒心、不信感も少しづつユルくなっていったようでした。
ある時、最近釣り座で姿を見かけるようになったオジサンが声をかけてきました。
「そのネコ、アンタが飼ってんの?」
「いいえ。何で?」
「いや、いつも一緒に釣りしてるみたいだからサ(笑)。でも置き去りにして帰ってるから不思議だったんだよー」
なるほど。しかし、“ やはり野に置けレンゲ草 ” でしょう。
最近、モッちゃんに変化が出始めました。いつもはボクの傍でゴロンゴロンしたり、竿の傍でイワシやアジ、サッパが釣れるのを辛抱強く待っているのですが、近頃はボクに釣果がないと、いつの間にかいなくなるのです。
アレッ?、アイツどこ行った?。食事を摂らずに帰るはずもなし、第一、夕暮れにはまだ早すぎる…。
アッ!。遠くにいました!。何やら若い女性釣り師3人に食べ物をもらっている様子。明らかにコビを売っているのがアリアリ。ボクが置き竿にしてソッチまで歩いて行っても、彼の非常に近くを横切っても、知らん顔。珍味の小アジを旨そうにカリカリやっています。
チェッ!。ネコのくせに処世術ってか!。
◆写真 / 釣れた大きなメジナ、大き過ぎて食べられもしないくせに、未練がましく指くわえて(くわえられませんが)見ている滑稽ネコの図。
Title : 私の事を話しながら、向き合いうつむく祖国の父と母
人間の脳内には、口では到底表現できない、祈りにも似た強い想いがある。
たとえ、自分自身がそれを意識せず、認識せず、理解出来てはいなくとも、
脳はいつもそれを夢見ている。願っている。
たとえ、自分自身がいくつ歳を重ねようとも、乳飲み子の様に脳はそれに憧れ、それを慕い、幾たびとも知れぬ悔し涙、苦痛の涙、歓喜の、感動の、怒りの涙で頬を濡らしながら、待っている。繰り返し、繰り返し、待っている。
ベースボール。我が家へ辿り着くためのGAME。メンバー9名は家族とその重要な対人関係者になぞらえられている。脳が切望してやまない家族と言う名の絆。アメリカにおいて、それは蜃気楼にも似た幻。ひとたび手に入れても、何かの拍子に音を立てていともたやすく崩れ落ちてしまう。
故に、恐怖のあまり脳が不安要素を就寝中の夢で実現させ、何とかストレスを発散させようとする様に、起床時でさえ、脳はそれを欲してやまない。
夢が見れないのなら、それに匹敵する映像を見せてくれ、と。
ベースボール、今夜の勝敗の行方。単なるチームの勝敗表ではない。観戦する私自身が求めてやまない得点1。
HOME。
ヨーロッパで野球は普及しない。家族の絆は蜃気楼ではない。
それゆえ、むしろ重要なことは、ひしめき合う大陸間、現実的にのしかかる圧倒的民族のハンディーキャップを覆す(くつがえす)夢。その視覚的実現。
フットボール。
国内に於いて競われる同国人のゲーム、ベースボール。
民族のせめぎ合い、フットボールは他国との対戦が基本。
家族の象徴がベースボールなら、楽曲『私を野球に連れてって』は至極当然だし、フットボールが祖国の威信そのものであるのなら、それは大人のゲーム。
家族とは何か。祖国とは何か。
子供達はゲームを通してそれを無意識に学ぶ。これを伝統と呼ぶ。
Title : 誰かが外にいる
特に夜。
突然、苛立つように、督促するかのように、数回ドアを打ち鳴らす拳の音。
夜は、特にそれが恐ろしい。
息をを殺し、少しでも身体を小さな置石にしようとする両親。その姿を真似、いつもの様に両親にしがみつき小石となる子供達。もうここしか居場所がない。
せめて祖国の試合が終わってからにしてくれないか。
お願いだ。
Title : Qちゃん
★ 質問者
つまんないこと聞いてもいい?。ボクは来月二十日で満2歳になる黄金鳥のオスです。今の飼い主のところに来て6年ちょっとになります。んッ?。合わない?。…………。聞きたいことはそういうことじゃなくって、ボクの名前のことです。
Qという名前をダンナさんだかオカミさんがつけたらしいんですけど悩んでいます。来月、ボクの誕生日にダンナさんがメスの黄金鳥を買ってきてくれるというのです。それはまあ、嬉しくないっちゃあウソになるんだけど、問題はそのメスの名前がVちゃんにもう決めてあるということなの。
普通、Q&Aですよね?。それなのにQ&V、っておかしくありませんか?。ボクがおかしいのでしょうか。気になって夜しか眠れない毎日が続いています。飼い主2人には怖くて聞けません。よろしくお願いします。
☆ ベスト・アンサーに選ばれた答え
Q&Vで全然おかしくないと思いますよ。もともとQ&Aというのはクイック・アニマルの略称ですよね。黄金鳥は動作が鈍く以前私が飼育していた黄金鳥はゴハンだよと声をかけるたびに止まり木からドサッと落ちて数回転がってから起き上がってましたからね。その点を考慮してのVちゃんだと思いますよ。
★ 質問者の返信
あのあとオカミさんに思い切って聞いてみたらやっぱりアドバイス通りでした。オカミさんはショップ・チャンネルの大ファンで、僕たちに子供が出来たらCちゃんという名前にするつもりだそうです。ありがとうございました。
Title : シロー
「韓国って、急に近くて遠い国になっちゃったって、皆言ってるね」と、マミー。
「それを言うなら、オレにとって会社のアノヒトもそーだ。近くて遠い人だ」とパピー。
「だったらサー、アタシが年取ったんで、小さくて軽い人になっちゃったネーって思ってることは、ドー結び付けりゃいいって?。ん?。何か言った?」
「言ってませんよ、おばあちゃん。今、庭で鳴いてるコオロギね、アレ、近くで鳴いてるよーな気がすっでショ?。でも、実は案外遠いとこで鳴いてんですよ」
「分かるブ。オシッコもれそうな時、おトイレ、急に近くて遠いとこにあるよーな気がする」とパピーとマミーのひとり息子ピミー9才。
「あのさ、フルサトは遠きにありて思うものって人間言うじゃん。でも、アンタらの実家って隣の県じゃんかー。だからフルサトを思わんのか。遠近両用にせんでいいのか」と、飼い猫オスのパチンコ丸シロー。
「シロー。それは地下鉄で帰省するからだよ。お前はバスケットに入れられてるから見えないだろーが、地下鉄は乗る時間が短いけど、地上からプラットホームまでが遠いんだよ。だからねー、地下鉄は近くて遠いんだよ」とパピー。
「何ぬかしゃーがる!!、ネコだと思って甘い言葉かけやがって!!。チクショー!!、誰が騙されるかってんだ!!」とパチンコ丸シロー。
「ああら、お背中の毛が全部逆立ってるわよ、ほらピミー、見てごらん。面白いねぇ~、短い毛だと思ってたのに、案外長いのねぇ~(爆)」
「何だと?、今何て言ったキサマ!!。トリマーの免許持ってるからって、いい加減なこと言うと承知しねーぞ!!」と激怒しながらも、ラジオの囲碁放送時間になったのでイヤホンを耳穴に押し込むパチンコ丸シロー。
シローはハッとした。ラジオはマミーの背後、タンスの上にあった。激怒した手前、スイッチを入れてくれとは到底言えない雰囲気。
今、ラジオは本当に近くて遠かったのだ!。
Title : イカヒゲG
若者にアコースティックギターは必須アイテム。それが昭和。女の子にモテたくてギターを始める。彼女と屋根の上に並んで座り、夜空を見上げながら弦をつまびき二人で歌う。彼女がうっとりと自分の肩にもたれかかり至福の時に酔う。
或いは首にハーモニカ・ホルダーをつけ社会的メッセージ色濃い自作の歌を歌いながらハーモニカも吹き奏でる。ボブ・ディランの姿を見て吉田拓郎が真似、瞬く間に若者達が追従した。
アメリカが荒れに荒れている時代だった。戦争は人間の人権を踏みにじる。大義に真実はあるのか。若者達はディスカッションを続け、連帯し民族 (フォーク) の歌を歌い継ぎながら国の将来、自身の将来を真剣に考えた。
反戦運動は効果なく、若者達の音楽レジスタンスは激烈な感情のうねりを見せ、より大きな叫びを求めアコースティックギターはエレキギターに変わった。
アメリカがそうしたので日本もすぐ真似した。そこで歌謡界はフォークというジャンルではなくなったと判断し、困り果てた末に、新しい音楽なんだよなァー、ちゅうことはニューなんだよなーと、ニューミュージックという適当なジャンルをこさえて呼ぶことにした。
エレキギターはアコースティックの様にどこででもお気軽に弾けるものではない。女の子達はオシャレなニューミュージックに夢中になったわけだから、アコギを弾いてもモテない。そこで日本の若者達はアコギを捨てた。
やがて世界の戦争はハイテク化し、以前のような人間玉砕は減少した。ディランもニール・ヤングもエレキギターで音量や音色を機械調節した。
日本で尺八や琴、三味線を演奏しまくる若者はほとんどいない。アメリカではカントリー・ミュージックが今なおアコギ片手に娘達を魅了する。
現在、日本の若者達にハッキリとした共通文化はなく、それでは困るとばかりに一部の企業が流行を作り上げ煽り立てている現状。ノル人もいればノラナイ人もいる。
街の何処かに 淋しがり屋がひとり
今にも泣きそうに ギターを奏いている
愛を失くして 何かを求めてさまよう
似た者同士なのね
ここへおいでよ 夜は冷たく永い
黙って夜明けまで ギターを奏こうよ
◆真夜中のギター
〈吉岡治作詞 / 河村利夫作曲、千賀かほる歌〉昭和44年
Title : 「おひかえなすって。手前、生国は日本列島、不思議の国で産湯につかり、人呼んでジャパニーズと発します」
親子丼を注文して鶏肉だけを残す人が、確かに存在するように、
バーゲン会場で、損するなんてマッピラだと、不必要なものを買いあさり、悦に入る人が人々の心を照らすように、
スタバでコーヒーを飲んでいる自分の姿をオシャレに想像し、押し合いへし合いの席に眉しかめ座りつつ、目的達成の安らぎを感じる人が涙ぐましいように、
室内で物をよく落とす人が、それを握力不足のせいではなく、自分の不運のせいではないかと疑惑を持ってしまうように、
確かに、確かに、
“ 愛されたい ” から。という理由で、誰かを愛してしまう人は確かに存在する。
“ 愛してみたい ” ので…。という理由で、誰かをアテなく探す人は確かに存在する。
晴れ予報を信じ外出し、降水確率0%の計画を本降りで濡らす。天気予報なんて当たらないと怒り、翌日には天気予報をチェックする人が存在するように、
自分に重ね合わせることが出来る容姿の芸能人の評価を、常にチェックせずにはおれない人が、全くもって存在するように、
“ お金がかかるから ” という理由で、誰をも愛する予定を作らない人は結局存在する。
“お金の使い道の1つとして” という理由で、バラまくお金の力で恋愛が買えていることを忘れてしまう人だって、たびたび存在する。
深刻な便秘の解消法を未だ見いだせず困り果てているのに、現代社会の進歩に、感激仕切りの人がチマタに存在するように、
鏡に映る無表情な自分の顔を、トレンディードラマの主人公表情とイコールなのだからと、安心するナルシーな人が微笑ましく存在するように、
これが幸せだ。
と定義できるものなど、この世には何一つとして存在しない。