Title : サムライニッポンでホントにいいの?
別れる切れるは芸者相手に言う言葉。なんてのは今は昔。
今流なら、別れる切れるは組閣のたびに言う言葉。
切という漢字、七つの刀で切ると言うのだから用意周到この上なし。なんせ、人がひとたび何かを切ろうと思った時のエネルギーたるや凄まじい。人と人が結ばれる時に必要とされるエネルギーの比ではない。
縁を切らないでねと指切り。…はて。
切り捨てる
切る+捨てる=徹底廃棄
分かるけど早まるな、その前にトコトン御一考。だって、
捨てる という字の中には吉という字が内蔵されているのだから。人によって解釈さまざま。
捨てるのが吉なんだろうと考える人、吉と知らずに捨てちゃいましたと思う人、あなたはどちらのタイプだろう。前者は後悔知らず、後者は後悔許せず完璧主義。
この切るという行為、なかなかどうして奥が深い。ヒトスジナワではいかない行為だ。
望みを切る と書いて 切望
親を切る と書いて親切
全く理不尽この上なし、と憤慨する人も続出しそうな…。
切腹は大出血、指切りはバンドエイド要らず、同じ貼るなら
切手
切らずに開けるのに缶切り 缶の中に詰め物で缶詰
なのに詰め腹切らされるのは開けずに切る、と。
何でもいいけどデタラメ日本語、キチンと理解して使わないと時代に躓いてしまいそうだ。近年とみに問題となっている日本各地各所の開かずの踏切。
踏んで切る のが踏切。それってヤッパリ用意周到。もはや
踏んだり蹴ったりではなく踏んだり切ったりの地団駄(じだんだ)時代。
それって昔懐かしジンタ時代?。いやいや、やっぱり示談だ時代。
親切さえ仇(あだ)な非情のライセンス返り討ち時代。
人が九と書いて仇(かたき)。もちろん十人目が切られた人。
訴訟社会は切羽詰まって羽根を切る。
つまりは飛べない。