大きな相撲 / フトコロの深さ

Title : 小者は大物を兼ねない

 

 

♪ 大きなノッポの古時計 おじいさんの時計~

大きな、は分かる。洋館の部屋の隅なんかで見たことある。多分、

小さなノッポの古時計、であるなら倒れやすい形状であることから、やはり砂時計を連想してしまうワタシ…。そういったわけで、

大相撲って一体何ですかネ。

力士の体格が大きいから、ついナニゲに相撲って聞き流してしまうのだが、まさか、大人の相撲だから相撲ってわけでもあるまいに。アー、アルマイニ、アルマーニ。

相撲、とはまさか言えません。それは分かる。耳的に迫力ないし、ノミでもマワシつけるのか、みたいに夢は膨らんでみたりはするが。

全部が大一番ってわけでもないんだから、タダ普通に、相撲、でいいのではないかなと思ってしまう。

アメリカのメジャーリーグを大リーグって日本人は呼ぶけど、それは規模が大きいから。相撲も部屋が多いから相撲なの?。グランドホテルのグランドなの?。グランド相撲ですかナ。人権意識低いから差し引き相撲、すなわち指相撲が妥当ではないか。

それた相撲なんて言っても、所詮コケオドシでしかないのだから。

 

Title : 「塩撒きゃウィルス死ぬんじゃないの~?。これ見てみ。勝利のV。どーよ」

 

コロナウィルス感染拡大阻止、今こそまさに正念場!と叫ばれる中、相撲協会は今日の時点でまだトーナメント開催を保留にしている。他のスポーツイベントや文化イベントが次々中止、延期になる中、目立つ目立つ。

GOサイン出たら、やっぱ “ パンデミック場所 ” とか言うんですかネ。

 

時代遅れはなはだしい角界常識はこれまでサンザン取り沙汰されてきたが、今回はヒト味違う。

高齢者ほどコロナウィルスのダメージが大きい。大相撲観戦者は高齢者が多い。観戦者が感染者になるか否か、理事達はイチバチの賭けに揺れているのだろう。

要はカネ。興行収入。

フトコロのきさ見たり。祝儀袋満杯のためのフトコロの深さだったのネ。で、

相撲か。ナットクだ。

身の潔白 / サイクリングで花粉症 / かかる花の粉は払わねばならぬ

Title : 花粉で目が曇るMAN

 

 

身の潔白。

白身魚の料理のこと。フライが代表的である。

身の潔白をはらす。

白身魚は淡泊ではあるがハラスは脂っこいものの淡泊質が豊富なことで知られる。

 

プロポーズされ受けるかどうか真剣に考える。

女子も短刀を懐に忍ばせていた時代の話だろうから、江戸時代大政奉還以前の話だろうか。

 

にっちもさっちもいかない。

ドンづまりな状態を指すこの言葉、何故、世界的に有名なジャズマン、ルイアームストロングは

サッチモ

と改名したのだろうか。また、ニッチモは誰で、彼との関係はどうなっているのだろう。

 

パラリンピック選手発掘の可能性を関係各位にアンケートってTVでやってたけど、ホントにやるべきアンケートは今年の五輪開催すべきか否か。国民の総意と確信してるならやってみるべき。なんでしないのかネ。キチンとしたアンケートもとらずに〇〇は国民的アイドル、なんて嘘っぱち同様、国民総意、ってことにしておけば、悪いわね、これからもヨロシクね、

♪ これからも いい感じ~

Title : 春子ファルコン来たァーッ!

 

昨日サイクリングで30km走行したのがたたり、今日は起床後激しい眼の痒みで七転八倒中。なわけで、このような記事を投稿し自虐的気分に浸るのであった。

犬は何でも知っている / 犬の演技力考

Title : 全てを知っている何か

 

 

海外秀作映画の中で、時折、愛犬が飼い主に抱かれ、息を引き取る涙ナミダのシーンに遭遇する。

メグ(犬の仮名)は、薄れてゆく意識の中、飼い主を泣き濡れた瞳でチラ見し、弱々しく「クォ~ン」。そして帰らぬ犬となる。

観た人のほとんどは、メグの名演技にひどく感動し、感心する。だが、それ以上の事は何も考えないのが普通である。

私は考え、ガクゼンとした。海外映画やドラマに出演する犬の役者達について、空恐ろしい疑問を感じたのだ。

むろん、ここで言う犬の役者とはCGなど使用していない本物の実写演技をする犬達の事についてである。メグを代表犬として疑問点を幾つか挙げると、

1⃣ メグに、自分は架空の物語に出演した、という認識はあるのか “犬は何でも知っている / 犬の演技力考” の続きを読む

肉食系、草食系 / 第3の系列とは

Title : ジャングルの秘境で見つかった呪い系ひとくち黒チョコ

 

 

「編集長、これ、片手落ちっスね」「どれだ」

「ここんとこ、草食系男子と肉食系男子、徹底比較って…。プランクトン系が抜けてるじゃないっスか。ヨーコさん、超過残業でウッカリしてたんスかネー」

「待て待て待て。プランクトン系?。オレそんなの聞いたことないぞ。何だソレ」

「は?。ほんとっスか。…ええと。肉食系はワイルド系、草食系は大人し系、どっちでもないのがプランクトン系っス」

「プランクトンてとこ、もうチョット詳しく頼む」

「いいっスよー。イワシだとかジンベイザメとか、チッちゃいのもデッかいのも上から下までなんスけど、ヨーするに、回遊系っス。ほら、海って世界中つながってるじゃないっスかー。ツーことはインターネットっスねー。肉も草も食べないで大量の情報を吸収してるんスよー。プランクトンは海の中、チューことはサイトの中っスから外出あんましないっスよー。よく女子が、結婚したいけど出会いがないって嘆いてるじゃないっスかー。プランクトン系は休日、部屋に居る時間が長いっスからー」

「そのプランクトン系って誰が名付けたんだ」「オレっス」

「え?」「だから、オレっス」

「もしかしたら、今思いついたりするか」「モロ今っスねー」

「入社2年のお前が編集長をコケにしようってのか」

「さっきの戦略会議、グローバルな視点で常に新しい何かを、サムスィングニューって、編集長が言ったんスよねー、アレって真に受け系、無しっスか」

「………」

「肉とか野菜よりプランクトンの方が守備範囲広いっスよー。部屋ん中に世界がありますからねー、ネットは。プランクトン男子はグローバル系っショー。彼らと知り合いたい女子はサイトに飛び込まなきゃなんないじゃないっスかー。その特集どうですかって話なんっスよー結局」

「何かお前の意図がオレにもジンジンきてる気がしてきたぞ。チョイ聞くが、お前はプランクトン系なのか」

「マー、そうっスねー。プランクトン系でもジンベー系かなり入ってますかネー」

「ジンベー系ってジンベイザメだな」

「言えてますかネー。イワシは食物連鎖の末端じゃないっスかー。ジンベーはプランクトン系のマックスっショー。底なしに情報貯めこんでハッカーまでいっちゃいそうナー、そんな危うさ感じる今日この頃って感ありっス」

「ハッキングなんかしたら即クビだぞ。当たり前の話だけどな」

「プランクトン系は攻撃性質ないんスよー。常識ってことっスねー」

 

 

 

 

バージョンアップは唐突に / 必要か不必要か / 乗り換え時はいつですか

Title : かぶるの?脱ぐの?

 

 

 

かつてないほど整形手術行為が社会に台頭しつつある。多くの人々がハッキリ認識している程スゴイ。今後、正式に市民権を得るに至るかどうかは微妙、御存じの通りの賛否両論ケンケンガクガク。

けれども整形を “ 修正 ” って捉えれば(とらえれば)多少なりとも理解は深まろうというもの。

 

例えばブログのひな型、テンプレート。人によって大同小異だけど、やっぱり修正するもんね。せっかくチームが頑張って作ってくれたテンプレートなんだから整形しちゃったら申し訳ない、なんて誰も思わないもんね。

顔とテンプレ一緒にするなー!ってお叱りの声も聞こえてきそうだけど、本質的には違わないのでは!。どちらも目的達成のためには必要不可欠な行為だから。肉体だけはその論外って理屈、最早通用しないかも。

より効果的に、より魅力的に、掲げた目標を達成するためのパーツ改造、改良、改定、バージョンアップ、整形、修正。トコトン極めるのであるならば究極リセット、乗り換え。トッカエ。

 

かつて駅構内の改札口付近には “ 伝言ボード ” なる黒板とチョークの設置されたワンダな物が在ったというレジェンド。駅側所有の物なのか構内設置店のサービスであったかは定かでないが、とにかくソレが在ったサ。ああ、在ったとサ。

先に行く、ごめんね  いい加減にしろ、もう付き合ってられない!

ソレらの走り書きだの殴り書きは人待ち顔のピーポーのイイ暇つぶしに。不特定多数、他人の好奇な目にさらされる肉筆文字という名のプライベート。人が書いたものだけに当然文字には特徴あり、人格があり、感情が、在る。

急いで書いたんだろうなあ、とか、喪失感にじみまくりで溶け落ちそうな字じゃないか!、深刻な感じだゾ!とか…。一瞥した人々は今から会う相手とは間違ってもそうならじ、と気持ちを新たにしたことであろうか!。

 

サンプラザ中野氏は、彼の偉大な楽曲 ” 大きな玉ねぎの下で ” の歌詞中、♪  ペンフレンドの2人の恋は  言葉だけが頼みの綱だね 、と主人公(本人?)に語らせる。

便箋に記された、肉筆ゆえの大切でかけがえのない一文字ひと文字。そのひとつひとつの小さな彼女に思いを重ね合わせる青年の純粋な想いが痛い程リスナーに伝わり、こみあげてく青春の息吹を感じ取らずにはいられない。

 

OA機器による電子文字が主流となった現在、人の温もりはその分だけ希薄になってしまったことは否めない(いなめない)事実。

だけど、それって時代が求めたコミュニケーション電達法(伝達法にする?)の修正。リセットとも言えるし、一番しっくりくるのは、乗り換え。それはサナギが蝶になる宿命。

けれども、お嘆きの貴兄には是非とも申し上げたい。例えば、温もりを感じるなら電気灯よりロウソクの灯。それに勝る温もりはない。それはそれとして、究極ボク達は電気を選ぶ。エルビス・プレスリー的には、好きに選ばずにはいられない。ありとあらゆる事を考慮すると選択の余地はない。

だからといってロウソクを時代遅れな無用の長物と言い切ることは決してしないし、現に別の効果的用途として依然使用され続けている。つまり、滅びなかった。残ったのである。

ありとあらゆる対象をバージョンアップさせようという昨今の世界的傾向は、進歩へのあくなき挑戦とも言えるし、やり過ぎ、行き過ぎとの誹り(そしり)も受ける。

ボク達は常に新たなるアップデイトやバージョンアップを受け入れる意思表示も出来るし、却下する意志を示すことも出来る。賛否両論巻き込みながら、やがて少しづつ時は流れてゆき、やがて人々は変わり果てた環境下の岸辺にたどり着き、最もしっくりくる答えを迷うことなく選択する。

おおむね1つの答えが大多数になった時、それが世論と呼ばれる怪物になる。

それがいずれ現れることは誰にも止められないし、今非常識な事柄も、ひとたび人の意識が乗り換えられれば、怪物さえも一瞬にして手なづけられる。

時代を乗り継ぐその速度は次第に加速度を増し、やがて目にも止まらぬ速さへと変貌してゆくのだろうか。近未来という言葉は一体いつ頃を指しているのだろう。それが訪れる時、その場にボクが居合わせているのかどうか、分からない。

早く訪れてチョ

 

 

 

プロテインの時代 / すべすべ / きめ細やかな肌とは

Title : プロテイン狙われるから自分がヌルヌルだとは絶対に言わないカッパの竜ちゃん

 

 

「オレは悩んでんだよ。もう何年位なるだろうかー、やだやだ」

虎抜(とらぬき。去年定年退職後、郷里の判子村に戻る)は庭の紫陽花眺めながら、角刈りごま塩頭をさわさわ撫でて独りごと。

「あら、そんなに長い事。水の臭いがするわねえ。何?。何よ」

「いやな…どうして魚の身体の表面は、ああもヌルヌルなのかと思ってサ。ウナギは特にヌルヌルしてるだろ」

「ドジョウもアナゴもですわねえ。潜ったり、隙間に無理矢理入り込むからでしょ~、傷つきやすいことしてるからぁ~」

「うん、オレもそう思ってんだ。だけどミミズはあんましヌルヌルしてねぇんだよなぁ。オレ、昨日そこんとこ掘っ繰り返してミミズ触ったから分かんだけどね。な?、そこんとこ掘っ繰り返した跡、分かんだろ。な?。その、落ち葉の、黄色みがかってるやつの右隣の」

「黄色みがかってるの3~4枚あるじゃないのぉ~。どれかしら」

「もういいよ。淡水でも海水でも蟹とか海老はヌルヌルいらねぇんだろ?、硬いカラに入ってっから。貝だとかサ」

「ヤドカリもそうよアナタ」思いつき笑いに顔が輝く求美(もとみ)。

「あれは貝じゃねぇだろ。貝には入ってるが。あれ?。ヤドカリはカニなのかエビなのか」

「やあねぇ(笑)。ヤドカニってちゃんと名前がついてるじゃないの」

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ぼっち、ぽっち、どっち?

Title : 雪山にいぬぽっちなセント・バーナード

 

 

誰しも、人から、きとるね、かなりきとるね、と言われるような人間なら、ひとつやふたつ、MY探求課題というものを心の中に温めている筈だ。私の場合、

 

ひとりぼっち

 

この課題だ。

ぼっち、って何。

どうゆうこと?。

その後、ふたりぼっち、という言葉を耳にして驚いた。

何それ。

そうゆうのもあるの?。

その後、暇なとき、寝ころんで天井をボンヤリ見つめながら、こう思う。

みんなぼっち

というのもありなのかな、と。

きみぼっち

とか

「わたしぼっちだから私」などと言う女性が次第に、明確に、そして強く眼に視えるようになってきた。

つまり、私はそんな偉そうな人間ではないが、明らかに

ぼっち

を捉えたような気がする。よく人が口にする言葉、あなたも口にしたことがあるはずだ。

「これっぽっち?」と。

ぼっち

ぽっち

両者には何かしらの関係があるのではないかと私は疑った。犬の名前に

ぽち

はあるが、

ぼち

はない。

だが、もし飼い主が飼い犬のポチに「ぼちぼち行こうか」と促したとしたら?。

あるいは、ポチが与えられた餌を見て「これっぽっち?」と思えたなら、

「ポチはこれっぽっち」ということが出来る。入れ替えれば

ぽっちはこれポチ

とも言える。つまり、ひとりぼっち、のぼっちとは

ぼちぼち行こうかと、かつて促されたポチの孤独を言い当てているのではないか。

ならば、ふたりぼっちとは

ポチが鏡を覗き込んだ時の状態と言えないだろうか。

 

 

Title : 鏡の中のポッチと向き合うボッチ2020Zの後ろ姿

呼び名のニュアンス / ネーミングで全てが決まる

Title : 銀河ネコか、宇宙ネコか

 

 

日本人は言葉のニュアンスにこだわる。いや、こだわっていた。かつては。

今は、それ程気にしない。言葉の響きからイメージを掻き立てる、という様なことに誰も関心を持たなくなった感さえある。

そんな事にこだわるのはウザイのかもしれない。ステキな響きなんていらない、別にウツクシクなくていいしー、かもしれない。

でも、やはり、日本人にはコケオドシ的なハッタリ・ネーミングは未だに通用していて面白い。例えば、

名作映画とされた『風と共に去りぬ』。タイトルを『風と共に去る』にするとトタンに三流映画の香り。「風立ちぬ」が「風が立った」もご同様。

「飛ぶが如く」と「飛ぶみたいに」では?。文学的表現と呼ぶべきか、こけおどしと見るべきか。

「天下人(てんかびと)」と「殿様で1番」じゃあねぇ…。

 

マリリンモンローの『お気に召すまま』が『好きにして』だったら?。だって現題の As You Like It 、丁寧表現てわけじゃないもんネ。

『アナと雪の女王』が『アナと女王』だったらヒット率はかなり落ちる。イントネーション、ゴロの良さがガクンと落ちてしまい、日本人は急速に関心が萎える。肩透かしを食らった感さえある。

 

ヒマワリで有名な画家ゴッホのホントの発音は “ ゴー ” なんだけど、それでいい?。

ショパンを日本人が得意なローマ字読みにしちゃったら “ チョピン ” だけど、ホントにそれにする?。

“ ティファニーで朝食を ” が “ ティファヌー ” でもロマンティックに酔える?。日本人はニホン人、ニッポン人。

 

日本人をごまかしケムに撒くのは結構カンタンだと思えてくる。コロコロ変わる日本の政党のネーミングしかり。