Title : かぶるの?脱ぐの?
かつてないほど整形手術行為が社会に台頭しつつある。多くの人々がハッキリ認識している程スゴイ。今後、正式に市民権を得るに至るかどうかは微妙、御存じの通りの賛否両論ケンケンガクガク。
けれども整形を “ 修正 ” って捉えれば(とらえれば)多少なりとも理解は深まろうというもの。
例えばブログのひな型、テンプレート。人によって大同小異だけど、やっぱり修正するもんね。せっかくチームが頑張って作ってくれたテンプレートなんだから整形しちゃったら申し訳ない、なんて誰も思わないもんね。
顔とテンプレ一緒にするなー!ってお叱りの声も聞こえてきそうだけど、本質的には違わないのでは!。どちらも目的達成のためには必要不可欠な行為だから。肉体だけはその論外って理屈、最早通用しないかも。
より効果的に、より魅力的に、掲げた目標を達成するためのパーツ改造、改良、改定、バージョンアップ、整形、修正。トコトン極めるのであるならば究極リセット、乗り換え。トッカエ。
かつて駅構内の改札口付近には “ 伝言ボード ” なる黒板とチョークの設置されたワンダな物が在ったというレジェンド。駅側所有の物なのか構内設置店のサービスであったかは定かでないが、とにかくソレが在ったサ。ああ、在ったとサ。
先に行く、ごめんね いい加減にしろ、もう付き合ってられない!
ソレらの走り書きだの殴り書きは人待ち顔のピーポーのイイ暇つぶしに。不特定多数、他人の好奇な目にさらされる肉筆文字という名のプライベート。人が書いたものだけに当然文字には特徴あり、人格があり、感情が、在る。
急いで書いたんだろうなあ、とか、喪失感にじみまくりで溶け落ちそうな字じゃないか!、深刻な感じだゾ!とか…。一瞥した人々は今から会う相手とは間違ってもそうならじ、と気持ちを新たにしたことであろうか!。
サンプラザ中野氏は、彼の偉大な楽曲 ” 大きな玉ねぎの下で ” の歌詞中、♪ ペンフレンドの2人の恋は 言葉だけが頼みの綱だね 、と主人公(本人?)に語らせる。
便箋に記された、肉筆ゆえの大切でかけがえのない一文字ひと文字。そのひとつひとつの小さな彼女に思いを重ね合わせる青年の純粋な想いが痛い程リスナーに伝わり、こみあげてく青春の息吹を感じ取らずにはいられない。
OA機器による電子文字が主流となった現在、人の温もりはその分だけ希薄になってしまったことは否めない(いなめない)事実。
だけど、それって時代が求めたコミュニケーション電達法(伝達法にする?)の修正。リセットとも言えるし、一番しっくりくるのは、乗り換え。それはサナギが蝶になる宿命。
けれども、お嘆きの貴兄には是非とも申し上げたい。例えば、温もりを感じるなら電気灯よりロウソクの灯。それに勝る温もりはない。それはそれとして、究極ボク達は電気を選ぶ。エルビス・プレスリー的には、好きに選ばずにはいられない。ありとあらゆる事を考慮すると選択の余地はない。
だからといってロウソクを時代遅れな無用の長物と言い切ることは決してしないし、現に別の効果的用途として依然使用され続けている。つまり、滅びなかった。残ったのである。
ありとあらゆる対象をバージョンアップさせようという昨今の世界的傾向は、進歩へのあくなき挑戦とも言えるし、やり過ぎ、行き過ぎとの誹り(そしり)も受ける。
ボク達は常に新たなるアップデイトやバージョンアップを受け入れる意思表示も出来るし、却下する意志を示すことも出来る。賛否両論巻き込みながら、やがて少しづつ時は流れてゆき、やがて人々は変わり果てた環境下の岸辺にたどり着き、最もしっくりくる答えを迷うことなく選択する。
おおむね1つの答えが大多数になった時、それが世論と呼ばれる怪物になる。
それがいずれ現れることは誰にも止められないし、今非常識な事柄も、ひとたび人の意識が乗り換えられれば、怪物さえも一瞬にして手なづけられる。
時代を乗り継ぐその速度は次第に加速度を増し、やがて目にも止まらぬ速さへと変貌してゆくのだろうか。近未来という言葉は一体いつ頃を指しているのだろう。それが訪れる時、その場にボクが居合わせているのかどうか、分からない。
早く訪れてチョ