Title : そのうち出てくけん
★広海。ひろみ。このエピソードの主人公。
監督が所用外出の為、今日のノックはキャプテンの芹沢。
サードを守る富樫は既に泥王、赤銅色の肌は泥と混然一体。
既に壮絶ノックは終盤、もう引き上げ時だと言わんばかりに
夕闇が、辺り一面に風呂敷を広げ始めている。
富樫の見開いた両目の中で、背後の山入端だけが
居残りのように明るく浮き立っている…。
キーン!。ザザザザザザッ!。バスッ!、ズザザーッ!!。
「ヨーシィ!。本日の練習これまでッ!」
真っ黒け海原の如きダイヤモンド。その最後の退出者
富樫がふらつく腰で一礼、部室に向かいかけるや
親友のファースト花田が立ち待ちしていて横並び。
「芹沢、許したれぇや、のう(笑)。広海(ひろみ)をお前に取られたんじゃけぇ、アイツ妬いとるんじゃ。
男のやきもちはゴッパ(非常に)つまらんのぅ~(笑)」
消防団設備倉庫前で花田と別れた富樫は、
これまでのチンタラ自転車漕ぎから一転、もうダッシュで
彼の恋人である広海が待つ
資材置き場裏に立つ
牛乳販売所裏に設置されている
大きな給水タンク裏にある
砂山の裏、
秘密の待ち合わせ場所へと向かった。
気配がして顔を上げる。
蛾が数匹飛び交う誘蛾灯が
彼女の泣き濡れた頬を映し出す。
闇を移動する富樫の真っ白な目玉に気づき、
広海の目がそれを追う。
キキィィィ!。ズザザッ。ガッ、シャン。ザッザッザッザッ…。
「何やどうしたんや。泣いとろうが。何や。どうしたんや」
「ごめんネ。大したことないわいね。お父さんとケンカしただけじゃけぇ、
そがいに (そんなに ) 気にせんといて」
「ケンカ?。また甲子園行かせん言われたんか」
「うちらが付き合(お)うとるんを、お姉ちゃんが知っとって、
お父さんにアレコレ言いつけよったんよ。
…お姉ちゃんをアタシが問い詰めたらな、そげん白状したんや。
やきもち妬いてチャーラン ( つまらん ) 女や。
女の風上にもおけんチャーラン女じゃ」
「げに(現に)ホンマか……。ゆうことは、お父さん、ワシとお前が
付き合うんも反対するゆうんか。何で反対するんや」
「うちも聞いたんよ。高校生やからに決まっとるじゃろうが、
知ったげな ( 生意気な ) ことゆうとるとブチまわすぞ、言うて
手がつけられんかったんよ」
「酒飲んどったんじゃないんか」
頷く広海。富樫はバットとグローブの入ったバッグを落とすと、
彼女の両肩を抱き、頬の涙を舐めるように数回口づけた。
「そんうちワシがお父さんとこ行って、頼んでみるけぇ安心せぇや」
「いかん、やめんさい。ケンカになったらウチ困るけぇ、
会わんでええよ。来たらいけん。な?、来たらいけんよ」
「なら甲子園来られんゆうことか。それでええんか」
「ようないよ(良くない)…。ようないけど、ええ ( いい ) わいね。
TV観て応援するけぇ。友達んちで観とるけぇ、頑張ってぇや」
「お父さんに会うたらダメなんか。お前がまた怒鳴られるんかのぅ」
「うちよりお父さんじゃ。ケンカしたらお酒飲む量が
バチ ( 凄く ) 増えるじゃろ。手ぇつけれんようなるから
会わん方がええんやて。ネ、分かってぇや」
広海は父が居座っている居間には立ち寄らず、
真っすぐ二階の寝たきりの母の元へ。
「お母さん、ただいまァ」
「お帰り。どしたん?、ニコニコしてえ。何かええことあったん?」
広海は横たわる母の枕元に座し、ググッと顔を母の眼に近づける。
自分の睫毛 ( まつげ ) を指差しながら
「お母さん、これな、睫毛見て。
ウチの涙と男のヒトのツバ、
混じり合うとるんやで。すごいやろ」
「へえ、そうなんか!。好きな人がおるんやねえ!」
「そうなんや。目は口ほどに
物を言うもんやろうがね ( 笑 ) 」