Title : 女性
★杉露。すぎる。このエピソードの主人公。
雨は降り続いている。
窓越しに見える小さな小さな紫陽花の木が、
花達の声を聞き届けて今しがた雨を呼んだばかり。
パソコン画面から視線をそっと抜き出すと、
杉露は、窓ガラスの結露を人差し指で一文字にぬぐい、
紫陽花の紫ぶりを見ようと目を凝らしたのだが、
よくよく見ると、その花びらは自分自身だった。
だから雨を呼ぶ声が聞こえたのか。
杉露は頷くと席を立ち、やがて
エスプレッソの香りと共に自室デスクへ舞い戻る。
両指でカップを包み込むのは、
温もり求めて抱かれたがっているカップが
自分だと知っているから。
熱いエスプレッソで心が温まる者はいない。
「胃を心だと思い込んでいるだけ」
杉露の言葉にプッと頬膨らませ、
上唇を突き出して抵抗を示した芳(かおる)のおどけ顔がふと浮かぶ。
それはエスプレッソの小泡達をケタケタと笑わせた。
可笑しいの?。
「寂しさ紛らわすために結婚するなんて、昔っからある話だよ。
友達欲しくてサ、好きでもないサークル入るだろ。
いいんだよ、人恋しさに雑踏へ出ても。
お前の見合い、オレは不純だと思わない」
その声は昨日、カフェの何処かから聞こえてきた。
一歩踏み出せば店内、というテラス席に杉露は居た。
雨上がりの路を行き来する車の音が、
彼女の両耳の方向感覚を台無しにしてしまっている。
どこから聞こえてくるのか分からない。
“ 出てこいSNS! ”
その呟きはあまりに小さすぎ、
杉露の声をかろうじて聞き取ることが出来たのは、
自身の前方上下の歯だけだった。
その時、デニムシャツの男が店から出てきた。彼は
迎えに来た恋人らしき女性を友人に紹介している。
3人は楽しそうに笑い合うと、やがて
右と左に手を振り合いながらフェイドアウト。
唇を噛む杉露。
どうして私がここで唇なんて噛むの?。
それは彼がSNS、声の主だって知ったから。
ほら。
それが証拠に素敵な低音VOICE、店内からなくなってしまった。
杉露はマグなカップを傍らに置き、再びネットサーフィンを始める。
さっき彼女が作った一文字は、完全に窓ガラスから消滅していた。
“ 結露のせいじゃないからね。私が傷口ふさいだの ”
そうなんだあ。
杉露の心の声は、いついかなる時も
キーボードの連続音でかき消されることはない。
だって心の声だから。
声は声。
音は音。
全然違う種族だから。
指を止め、杉露はエスプレッソを口に運んだ。
それは既に熱を失いかけている。
いつものこと。
いつもすぎるくらい。
女だから、よく分かる。
それはすぐにやって来るものだから。