小さな子供の昔に帰って熱い胸に甘えて / 聖母たちの子守唄

Title : 不死鳥は誰に来る

 

 

さあ 眠りなさい 疲れきった体を 投げ出して

青いそのまぶたを 唇でそっと ふさぎましょう

ああ 出来るのなら 生まれ変わり あなたの母になって

私の命さえ 差し出して あなたを守りたいのです

この都会は 戦場だから 男はみんな 傷を負った戦士

どうぞ 心の痛みをぬぐって

小さな子供の昔に戻って 熱い胸に 甘えて

〈マドンナたちのララバイ/ 岩崎宏美〉1982年

 

 

この楽曲は、女性から男性に対して捧げられた母性愛的包容力がテーマ

になっているが、こういった基本的な感情は、

いかなる人間関係にも当てはまる。

性別を問わない友人関係や師弟関係、家族愛や博愛、

それら全ての擁護、庇護の感情こそが、いかなる社会にも必要とされ理想とされる世界の核だ。

戦場で兵士が自分を殺そうとした相手兵士を殺し、

その亡骸を埋め十字を切る。論理的には不条理で理不尽。

その時、兵士の頭にあったものは理屈に合うかどうかではなく、

そうせずにはいられなかったから、といった、

ただそれだけの感情一点に集約される。

人が人であろうとする時、

この世のあらゆる論理、決め事、道理を

自分がそうするべきだという強い感情が打ち破ってしまうことがある。

連続殺人鬼を守り通す愛。

そしりを受け、もはや人ではないと罵られ

一身に攻撃を受ける不条理な愛。

私にはまぎれもない愛で、他の人々には異常で歪んだ愛。

深刻で真剣で社会規範を崩す異常な愛。

決して見逃されるべきではなく、絶対に断罪されねばならぬ愛。

それでも私には紛れもない愛。

そんな愛に身を滅ぼしてしまった人は不幸。

哀れ。悲惨。呪われている。

だが、それよりもっと悲しむべきものは、

どんな愛の行為も自身の中に養う努力を一切せずに育ち、

相手を理解することなく愛していると口にする事。

 

 

やがてそれは相手に気づかれ、

互いにそれを口にせず、

どんな人間にも絶対に存在などしないものが愛なのだ、と呼び

自分と同様に、愛し愛されるを演じているだけだ、と本気で信じ込み、

強靭な石を抱き締め、

自分の心は石の中に間違いなく在ると思い込み、

互いの顔をいとおしく眺めることを怖れ、

何も感じない自分にさえ

何も感じなくなることにも愚鈍となり

生きる。

 

これを “ 不都合な真実 ” と呼び、

昨今、特に日本の一部若者達を魅了してやまない。