日本人的ブルースとは/ 演歌はブルースか

Title : 「ブル~スしか歌えんばってん、オレはトナカイ、鹿ではなかとよ」

 

 

何故か日本には曲名に~ブルースと銘打った歌ジャンルが存在する。誰が考えたものやら。誰が仕掛けたものやら。

アメリカの黒人音楽、しかも哀歌を、日本人の悲恋ソングと同等に位置づけるそのセンスは実に大胆かつ面白い試みだと思う。

皮肉を言っているのではなく、双方に流れる悲しみや苦しみの深さが何ら変わらない、と言っているところが興味深いと感心することしきりなのである。しかしながら…。

 

♪ 伊勢佐木町ブルース ♪  には絶望的な悲しみなど存在しない。むしろ成就した、成就しそうな恋愛を楽しんでいる女主人公が居るばかり。

4分の4拍子でさえあればブルースだ、などと強引なことを言う人はまず居ないわけだし、青江三奈の歌声には明らかな悦びの熱情が窺い知れる。

つまり、この歌はブルースという恨み節や苦痛に耐えるための霊歌の要素などとはおよそかけ離れたところに位置しているのである。

それなのにボク達日本人は、この伊勢佐木町をテーマとした楽曲が紛れもなくブルースである、と自然に受け入れてしまうことが出来る。これまた不思議な感覚、現象ではないだろうか。この歌がブルースなのはおかしいと言った人を聞いたことがない。

 

♪ 受験生ブルース ♪ (高石ともや)しかり。受験生の大変さは人生の大いなる苦しみという程のスケールではない。それゆえこの歌はコミカルな調子で歌われている。

つまりはアメリカのブルースとは真逆、縁もゆかりもない楽曲と言える。だがしかしタマゲ上げることに、この歌もまた、ブルースという名前が良く似合う。このシックリ感は、恐らくボクら日本人に共通した何かなのだろう。ウムウム、これはブルースだな、なあるほど、と途方もなく納得してしまえるのは一体何故なんだろうか。

推測なのだが、ブルースという単語の響きが、本来この単語が持つ意味と相反する全く違う何らかのイメージを、日本人にかなりビシバシと連想させてしまっているのではないだろうか。

フォースと共にあらんことを、と同じく日本人にとっては、

“ ブルースと共にあらんことを ”

とまで言い切ってしまえる程の何か。その正体は一体なんだろうか。

 

♪ 中の島ブルース ♪ (アローナイツ / クールファイブ)もまた絶望ソングではない。打ちひしがれた男と女が小さな希望の灯によりそう、明日を信じる事が出来そうなニュアンスが行間に流れている。

もしこの曲名からブルースという言葉を取り去ったなら、代わりにどんな単語を持ってくればシックリするだろうか。

中の島。中の島物語。中の島の2人。中の島慕情。……慕情?。

慕情の線は悪くはない。恋い慕う、の意味なのだから少なくとも場外ホームランで彼方へ飛んだブルースという単語よりはグッと近い。

伊勢佐木町慕情でいいし、中の島慕情、でいい。歌詞の意味合いからすれば、間違いなくブルースよりは慕情の方が間違ってはいない。

だがしかし、何故かどうしてか、慕情ではダメだ。

大半の日本人的が慕情という言葉から連想するのは、パッとしない、覇気がない、ジミ。そんな驚愕すべき感覚があぶり出されてくる。

本来の慕情という言葉の意味、恋い慕う、といったトキメキ感、震える情熱、などの感覚は、この慕情という発音からは一切感じ取ることが出来ない。

ああ何故何故ナゼでしゅかー!。日本人は慕情という言葉に何ら恋愛成就の匂いを感じ取ることが出来ないでいる!。未だに!。じゃ、ブルースに戻す?。

伊勢佐木町ブルース。中の島ブルース。

これだ、これだ、これだあああ!。やはりこれしかない!。歌詞の内容にそぐわない単語であるにも関わらず、依然としてヤッパリこれでなければ辛抱ならない!。

♪ 柳ケ瀬ブルース ♪ (美川憲一)は恨み節の典型、全く持ってブルースである。和製ブルースの決定版である。歌詞の内容も間違いようもなくブルースである。

♪ 昭和ブルース ♪ (天地茂)しかり。しかし、恨み節の方が日本だなと。

柳ケ瀬恨み節。昭和恨み節。

ヒェェェ~ッ!、ダメだぁ~!。これでは全くもってナンセンスである。歌詞の意味合いからすると、ブルースより恨み節の方が日本人特有の感覚を満たしているにもかかわらず、やはりブルースでなければシックリこない。丸ごと納得出来ない。

ブルースという言葉の響きには、何かこう、粋な響きがある。本来の意味合いとは全く関係なく、日本人にはブルースという言葉の響きが粋でイナセに聞こえてしまう。ヤボの逆、今風の匂い、時としてスタイリッシュでさえある。

 

となれば原田真二のポップ調、♪ てぃーんず ぶるーす ♪ 命名もひどく納得出来ちゃうもんだねえ!。

つまりは、結婚の喜びを綴った歌詞のタイトルにブルースという単語を入れたとしても日本人的には在有り、という強引な力技の結論が出来上がってしまいました。

白チャペルのブルース、花嫁に贈る父からのブルース、ウウム、合う。そら恐ろしい程、合う。しっくりくる。とんでもなくバッチリではないか。あまりの収まり様にほぼ意識を失いそうになるほど似合う。

悦びや悲しみ、そういう内容の歌タイトルに、~カンツォーネだとか~オペラ、だとか、~シャンソンと付くものはほとんど無い。

~ロック、~ブギ、~タンゴは多い。

すなわち、日本人はゴロ合わせの曲名、響きのよい曲名を大層好む趣向を持ち合わせているのだという事がつくづく分かってしまった。

~追分、もゴロがいいし、~恋歌、もイイ感じ。

日本語には、つまずきやすい漢字が多い。つまり言いにくい言葉、流れない単語や語句が沢山ある。誘われる、はいいが、誘われる(いざなわれる)だと流れない。引っかかる。

歌は流れるようであって欲しい。そう日本人は無意識に感じている。

加えて日本人は言葉の持つ響きから、本来その言葉の意味と全く違う印象を持ち得ることに何らためらいがない民族ではないだろうか。

アメリカ人の言うブルースと、日本人の言うブルースとは明らかに意味合いが違う。

今やブルースは日本語。不思議な魔法の言葉なのだ。

 

モンキー園児1 / 優等生と劣等生の違い / PTAの線引き

 

 

 

うちのすぐ目と鼻の先に大層な利発(頭の良い)なノブちゃんなる小学1年生がいた。

母はボクに向かって「ああ、ああ。▽▽もノブちゃんみたいに勉強が出来て大人しい子だったら良かったのに」

と山芋を堀り上げるに必要な1メートル、それを超えるほどの溜息をつき、床にしゃがんで丸まったまま、茹でたボール一杯のシャコを食べる手を止めてしまった。

そんな母の姿より、ボクには産まれて初めて見る赤紫色の茹でシャコなる物体の方が実に奇異に映った。こんなザリガニは薄気味悪い。ズルズルと後ずさりし階下へ逃げる。

ノブちゃんは野球好きなため、日に焼けて丸焦げになった肌をしており、鏡モチのような真っ白肌をしているボクとは全く対照的な級長であった。ボクは日に焼けても赤くなるだけ、たちまち真っ白な肌に戻ってしまう男。

ゆえに、ボクの山猿ぶりを知らなかった商店街のオバサンなどは、ボクをナマッちろくて大人しい園児だと勝手にイメージしていて、

ある日ボクが大きなウシガエルを小脇に抱え(というより羽交い絞めにして)ランニングシャツ、半ズボン泥まみれ姿で道端をフラフラ歩いているサマを目撃、卒倒しそうになったそうだ。

このヒトはボクの身に何か大変な惨事が起きたに違いないと勘違いし、ボクの手を引き母の元へ連れ帰ろうとしたのだが、気味の悪いカエルを両腕で抱え込んでいるので仕方なくボクの後頭部を押しながら親元へと送り届ける。

「奥さん!、奥さんッ!。お子さんが大変よッ!!」

玄関口の緊迫した声に戦慄した母、転がる様に台所から躍り出る。今度は一体何をやらかしたのかッ!!。

「どうしたんですッ!」

「よく分からないけど泥だらけよ!。何かあったんじゃないですかッ!」

「▽▽!。何があったの?」

「これ。…。ボッ、ボッて鳴いてたから、何処に隠れてるかすぐ分かった」

「え?!。他にはッ?!」

「他にはない。これだけ」と寂しそうにウシガエルを両手で母に差し出す。

「捨ててきなさいッ!!」

 

話が脇道にそれてしまったが、ノブちゃんが利発であるというのは、ボクにはどうでもいいことであった。園児にも既に嫉妬の感情は間違いなくあるが、そんなことに嫉妬するボクではなかった。

ある日曜の昼、ノブちゃんがお父さんと道端でキャッチボールをしているのを見る。

ノブちゃんは真っ新(まっさら)な野球のユニフォームを着ていた。

野球のユニフォームというものはテレビで見たことがある。それを何故ノブちゃんが着れているのだろう!。

ボクは激しく動揺しながら自宅にとってかえし、洗濯機に突っ込んであった白ランニングをイスに乗って引きずり出し、父の卓上筆記箱から黒マジックをひったくると、ランニングの胸元にミミズがのたくった様なデタラメ模様を殴り書き(本人は英語のつもり)。

すかさず幼稚園制服からそれに着替え、あたふたとノブちゃん親子の元へ取って返す。

ボール行き交う二人の間に仁王立ち、腕を得意げに組んでふんぞり返るボク。

だが2人はコチラを全く見ず、まるで示し合わせたかのように、サッサと帰ってしまった。そういえば、ボクはノブちゃんと話したことがない。

「ノブちゃんと話したことない」と母に言ってみる。

「アラそう。この前、台風でどしゃぶりだった時、アンタが風呂敷マントで道の真ん中に立って、走って来たノブちゃんのお母さんに、何者だ名乗れーッ!!って通せんぼしたでしょ。お母さんズブ濡れになったって怒ってたじゃないの。口きいちゃいけませんって言われてるんじゃないの?」

そうなのか。全然知らなかった。初耳だが?。

ある夏の日。夕立の間中、ボクは沼でひたすらギンヤンマのヤゴ獲りに興じていた。

いつしか雨はやんでいて、ふと顔を上げると真っ黒な樹木群のシルエットの遥か上、紫色の黄昏が大きく大きく衣を広げている。

セミしぐれが降り注ぐ中、ボクは大量のヤゴを子供用バケツに入れ、意気揚々と家路をたどる。

すると珍しいことにノブちゃんちの前で会社帰りのオジサン ( ノブちゃんの父 ) に話しかけられた。

「おッ!。何が入っているのかな?」

微笑みながらバケツを覗き込んだ顔が徐々に暗い表情へと変貌。

「▽▽ちゃん。トンボは益虫といって蚊を食べてくれる良い虫なんだよ。だからこれは返してあげようね」

ボクは訳も分からぬままノブちゃんのお父さんに連れられて、先ほどまで半身つかっていた沼岸へ…。

既にお父さんの顔がほとんど見えないほど、辺りは暗くなっている。彼は静かにバケツの中の水と共に多数のヤゴを沼へ解き放った。

その時、遠くで雷が鳴った。

はっきり覚えている。あの音。園児でも。

 

◆写真タイトル / 日の当たる場所

 

 

勝ち組の必勝法とは / 金銭的勝者 / エリートコースから外れない

Title : 囚われの王族後つぎ

 

 

 

人生を快適なものとし、

出来うる限り、自身の心を台無しにしないよう、

愛する我が子に帝王学を強いる親が居る。

王家の子供達が継承する学問である帝王学とは

似ても似つかない、

もうひとつの帝王学。

それは、いわゆる勝ち組、

つまりは、人生に於ける絶対勝者のための必勝法

とは真逆の、対極に存在する。

 

勝ち組とは、ここ日本では短絡的に受験勉強の勝者であるとか、

一流会社へ就職出来た人であるとか、

エリートコースに乗っているだとか、

玉の輿に乗っただとか、

そういったことを達成した人、

を指している場合がほとんどではないだろうか。

 

そういった認識、目標は、全く悪い事ではない。悪いはずがない。

人生に起こる輝く喜びごと、それこそ生きている実感、自身の実存感そのものだ。生きている証 ( あかし ) だ。

非常にマズい認識は、それを

幸福実現70~100%のチケットを手に入れた、

幸福な人生を確定した、

と錯覚してしまうことだ。

 

勝ち組とは何か。

金銭的勝者。

愛する人と幸福に暮らす勝者。

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涙は汗 / 涙は失恋 / 涙は卒業式 / 涙は緊急事態宣言

Title : 押し寄せてくる、到着まであと3秒!

 

大人になるにつれ泣かなくなってゆくのです。みんな強い子になるのです。心とウラハラ、それがチョホッピリ淋しくって、泣ける話を欲しがるのですネ。人は自分にない物をオネダリするもの、それがサガ。ウムゥ…そうなのです。

 

涙は心の汗だ たっぷり流してみようよ

二度と戻らない 今日のために

〈いずみたくシンガーズ / 帰らざる日のために〉

 

と青春真ッただ中の若者達に呼びかけるのは、とっても自然で納得感アリ。とはいえ逆もまた真なり、お漬物シンナリ。発散を推奨、我慢も推奨、それが世の中ってものなのですネ。

 

まぶた はらす涙は こぼしちゃいけない

こらえきれぬ時には まつげに溜めよう

〈森田健作 / さらば涙と言おう〉

 

 

ああ ひと粒の涙で ふと気づいたの

何となく違うの 昨日の私と

〈シモンズ / ひと粒の涙〉

 

ふとこぼれた一粒の涙に驚く乙女。悲しいわけでもないのに何故。目に映るものが全て美しく、何となく輝いてワタシを誘うの、と主人公はつぶやくのです。これが恋を知ったことだと。恋すると誰でもこうなるのかな、と。この感覚は女性特有のものなのでしょう?。男には絶対ありません。ないはず…。

 

 

卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう

でももっと哀しい瞬間に 

涙はとって おきたいの

〈斉藤由貴 / 卒業〉

 

なるほど、涙ひとつとっても人の考え方、捉え方、対処の仕方って違うものなんだなァと感慨深いものありです。私は強くありたい、という乙女の卒業に際しての決意表明なのでしょうネ。

 

涙くん さよなら さようなら 涙くん

また逢う日まで

きみはぼくの友だちだ この世は悲しいことだらけ

きみなしではとても 生きていけそうもない

〈坂本九 / 涙くんさよなら〉

 

涙を友達だと思っている。人生の伴侶だと。だけどぼくは恋をした、素晴らしい恋なんだ、だからしばらくはキミと逢わずに暮らせるだろう、と語る主人公。

こんな風に涙を客観的にとらえて考えるたりするのは男の方でしょうネ。女性は論理より感情に忠実な傾向ありますもんネ。 “涙は汗 / 涙は失恋 / 涙は卒業式 / 涙は緊急事態宣言” の続きを読む

嗚呼!桜前線!/ 駆け抜けていった聖女子 /松田聖子の時代

Title : 「奥さん、カワウソ・ヤフトの宅配でッス。ふるさとNO税の巨大一粒胚芽米、どこ置きマショッ」(魚眼レンズから見えた図)

何かこう、ワタクシ、ここのところ春に関する記事内容が多いですけど、まぁ皆様も春待ち焦がれでしょうから許してもらえそうでしょうか。

福山雅治さんの大感謝祭に対抗し、春の大カンシャク玉破裂祭というのは如何なものかと。

中国ではお正月に爆竹破裂させてお祝いしてるからカンシャク玉もその系列で代用ってことっス。

かつて松田聖子さんはチェリーブラッサムの中で次のことを指摘されておられました。皆様もメモをおとりになった経験、おありになるかもしれませんね?。

何もかも目覚めてく新しい私、なんだと。あのイントロ、見事でした。楽器構成、アレンジの妙!。

確かにこれから開幕するのだ、桜ばかりか何もかもが目覚め、一切が始まるのだという胸騒ぎの期待感は見事でした。

胸騒ぎの躍動感としてはチェリーブラッサムもステキですが、やはり日本人的には桜前線、ヤッパこれでしょうかねぇぇ!。ウゥフームームー、やはりそう来ましたか、みたいな!。

ワタクシ、恥を忍んで打ち明けますと、実は個人的にチェリーブラッサムという言葉を聞くと、必ずペットショップで販売されておりますオポッサムがサクランボを食べているところを連想してしまったりするのでございます…。

チェリーオポッサム……。

昔昔のヒットソングですが、今尚色褪せることを許してはくれないフランスの楽曲でフランシーヌの場合、という実際の事件をモチーフにしたものがございましたね?。3月30日の日曜日の朝、パリで焼身自殺したフランシーヌを悼んで作られた歌なのでございましょう?。

何となく事件の詳細を知らないままでいたい気がして未だに検索はしておりません。知らないまま、ボンヤリとしたイメージに浸ったまま聴いていたい、などと思ってみたりするのでございます…。日本語歌詞におけるフランシーヌさんの情報としては、

ホントのことを言ったら おりこうになれない

ホントのことを言ったら あまりにも淋しい

ということぐらいしか入手出来ないのでございます。恐らく、この記事を読み関心を抱かれたお方が勇気を振り絞り検索をかけ、コトの真相をつまびらかになさるのかもしれませんね?。

皆でその可能性に賭けようじゃありませんか…。

ともあれ、松田さんの春風ヴォイスで告げられた期待感、桜前線。全ての日本人の瞳がその前線の行方を見守るのです。

不安と期待を気まぐれ春風に乗せ、遠方にまで届く様にと思いを託すのでありましょうね?。

半面、桜にまつわる悲恋物語も沢山ございますねぇぇぇ…。そうそう、松田さんに負けず劣らずの歌姫であるところの岩崎宏美さんは楽曲の中でこう訴えておられたじゃあありませんか!。

桜の花はもう六分咲き、見上げることなくアナタは急ぐ、と。

彼女のお父さんに結婚の許しを貰いに行き、まだ早いと一喝されカレシは傷ついたのでしたね?。

彼女は家を出ると彼に誠意を見せるのでしたね?。怒っているでしょう?、許して下さい、と…。聴いているコチラもムゥムゥと震えるっス。

春おぼろ、夜桜だったのであります。

期待感、そして散りゆく別れ、物語が終わる悲しみと再生の約束。

嗚呼!、桜前線!。

因みに、梅雨前線ヤダ。

帰っておいでよ

Title : 広い荒野にポツンといるよで

 

 

プラタナスの枯葉舞う 冬の道で

プラタナスの散る音に 振り返る

帰っておいでよと 振り返っても

そこにはただ 風が吹いているだけ

 

人は誰も恋をした 切なさに

人は誰も耐え切れず 振り返る

 

◇ 風〈北山修 / 作詞、端田宣彦 / 作曲〉端田宣彦とシューベルツ

日本人と漢字 / 忍者暗号教育

Title : ケムにマクのがオレ、忍者!

 

 

 

世界における難解文字、すなわち漢字。何故、ひらがな以外にこの様なキテレツ極まりない漢字なるものを覚え、日々用いなければならないのか我々は。

言うまでもなく、それは暗号。漢字のひと文字ひと文字が暗号。暗号の作り方を我々は学校教育を通じて人肌感覚で日々習得してゆくのだ。世界に誇れる忍者輩出のために。

 

〇 小学校国語教育 / 現場最前線

「大。一に人、と書いて大。つまり、一人というのは大きい人、という意味になりますね。小さい人は1人居ようが何人居ようが、全く頭数にはなりません。カウントされないのです。大野君、キミの苗字は大きな野原、という意味を持っていますから、本来であれば、1人で野原に居る、という意味合いになるはずですが、君は小さいのでカウントされません。つまり、誰も野原には居ない、という意味の苗字になります。大野君、理解出来ましたか?」

「はい、先生。野原にボクが居ても、誰にも見えてないのと同じです」

「大変よろしい」

 

〇 中学校国語教育 / 現場最前線

「詳しい、の詳という字は、羊が言う、という意味が込められて作られました。何故、羊が言う、というのが詳しいという意味になるのでしょう、分かる人」

「羊の喋りはクドイ、という意味なんだと思います」

「その通りです、よく出来ました。ゴンベン(言)としては、読む、なんてのも有りますね。売ることについて言う、という意味合いから、直訳すればセールストークという意味合いになるはずです。それが何故、読む、という意味に変換されたのでしょう。誰か分かりますか」

「新聞とかネットの商品チラシを読むのだと思います」

「その通り。因みに激安価格だったりすると、朗らかに声を出してつい読んでしまいますから、朗読、ということになりますよ、いいですか。ここ試験に出ますからね。ということは黙読はどういうことになりますか」

「思ったより値段が高くて、ムッとして声に出さないで読んでいる、という意味ではないでしょうか。オマケに言うと、読破、というのは破れたチラシを何とか読んでみる、という意味ではないでしょうか」

「全くもってその通り。さすがクラス委員」

 

〇 高校国語教育 / 現場最前線

「コーヒーを漢字に当てると珈琲、となるな。翻訳すると、王が加え、王が非らず、という意味になるが、直訳だーこれは。日本語的な言い回しにすると、どういうことだー、分かる奴いるか」

「普段、コーヒーを自分で淹れたこともない王様が、たまに気まぐれで淹れた珈琲はマズくて飲めない。誰もが非難するものよ、という訳(やく)ではないかと考えました」

「正解だ。ならば理屈、はどうだ。王様が里で屈む、という直訳だ。これも分かり易く訳してみろー。出来るか」

「王様が古里で屈むとしたら理由はたった一つ。両親の前で深々とお辞儀をするのだと思います。いくら王様でも敬う気持ちは大事。それが理に適っている、というところから理屈、という意味になったのではないですか」

「鋭い。うちのクラスはレベルが高いな」

 

〇大学国語教育 / 最前線

「親、という字は立っている木を見る、と書きますな。成程、言い得て妙。流石に先人の発想には頭が下がります。では、両親、の両、という字。これはどういう理論に基づいて構築されたものだと推察しますかね。どなたか分かりますか」

「両という字は、見た目 “ 計り ” そのものの形に見えます。だとすると、両方を計り比べるわけなので、この計りは天秤計りではないでしょうか」

「いいとこ突きましたね。証明するには険しき道が待っているでしょうが、卒論のテーマにしてみるのも一興ですかな。…ご存知のように、肉親、とは焼肉を食べながら立っている木を見ること。つまり花見でバーベキューをしているという意味になりますな。では親という字に似ている新しい、の新。例えば、新商品、といえば、どういう内容になるんですかな。どなたか…。はい、キミ」

「立っている木を斧、と書くので、材木伐採なんでしょう。木材関係の新しい商品ですよー、という意味ではないのかなと」

「しかし、新という字には斧、にある父という字が入っておりませんぞ」

「父が不在の時に伐採しました、という注意書きが商品に添付されているはずです」

「キミ、なかなか勉強してますなあ。ワシントンと桜の木、の逸話ですかな」

 

 

 

 

 

 

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三好鉄生と西田敏行のバトン・リレー / モシタラ

Title : 「てか、もし~だったらって此処で空想してんのが好きくね?。オレってマジ出無精、てかシャイだし…」

 

 

もしも あの日 あなたに 逢わなければ

この私はどんな 女の子になっていたでしょう

 

と麻丘めぐみに歌われちゃう ♪ 芽生え。

もしもの話なんだネ。愛しの彼と出逢ってなかったら、今頃私ったら街から街、行く当てもなく泪で歩いてたり、悪い遊び覚えちゃったり、ひっそり暮らしてたり、更には、神の裁きなんかも受けちゃったりしたんじゃないかって想像してるんだね。

アア!彼と出逢えて本当に良かった良かった!。麻丘めぐみ危機一髪、的な。

 

 

涙をふいて 抱きしめ合えたら

あの日のおまえに 戻れるはず

 

涙をふいて 抱きしめ合えたら

どこかで明日が 待ってるはず

 

などと仮の話をみなぎる力で歌い上げる三好鉄生の歌声を、目を閉じアグラ座りで自分を抱き締め、かすかに前後に揺れながら聴いていると、

アアほんとにそうだ。鉄は熱いうちに打て。それで鉄生…。なるほどなぁって。

こちらも、たらはずの話なのよ。もし~だったら、~のはず。仮想シュミレーションってホントに大事。特に血液型Aの人ってそうらしいじゃない?。

 

 

もしもピアノが 弾けたなら

思いの全てを 歌にして

きみに伝える ことだろう

 

と西田敏行。三好鉄生の楽曲 涙をふいて と結論的に違う点は、

涙をふいて、では仮の話が実践されたかどうか不明のまま歌が終わっちゃうのに対し、もしもピアノが弾けたなら、では、

 

だけど ぼくにはピアノがない

君に聴かせる 腕もない

 

と、アラマー、空想をやめ現実に立ち返っての独白があるんだね。つまり、仮の話はあくまで空想、願望なんだと。リアルにビシバシと結論付けちゃうんだね。

ハァククッ!。

 

麻丘さんのは、今だから話せる、アア良かったワなお話。過去を仮定で振り返る、ある意味ヨユーよね。でも、自分の運命を定期的に振り返り、想いを新たにするって大事。だから日記をつけましょーって話なの?。

 

涙をふいて、はリスナーにバトンを渡して、アナタは実際問題として、コレ実行に移しちゃう?って聞いている。勇気あるの?って。

もしもピアノが、の方はバトンを渡さずオレ駄目だった、と独り完結させちゃってるけど、実はリスナーによってバトンを引き継いでいたりするんじゃない?。

いやいや待て待て、今からオレはピアノ教室に行くぜ、みたいな。

 

もし~だったら。

 

ふふふ深いッ!。山芋を掘り出す時に必ずや感じるであろう感覚にも似てッ!。

 

 

近頃少し、地球の男女に飽きたところヨ

Title : 頭の中がテラバイト級妄想星人

 

 

その昔、若者達に熱ッつき情熱がないじゃないのヨ!プンプンとオジサマ達が嘆きつつ若者をシラケ世代と呼んだとかッ。その代表格として、もてはやされたのがショーケンや桃井かおりだったそーな!。

それから数年ごとに若者は新人類だとか宇宙人呼ばわりされたのネ。つまり自分達とは何もかも根本的に違う異星人なんだッ。とね。

 

それでもいいわ 近頃すこし

地球の男に 飽きたところよ 

ハァウッ!

 

などとピンクレディーのUFO大ヒット。みんな宇宙人感覚が身近だったわけだから!。

それが今じゃどーよ。ハン?。大人から子供まで年代別に宇宙人ッ、同世代でさえ異星人ッ!。

地球上 隣は 何する異星人

なハァ~んチってゲラゲラ。そしたらッスねー、今時は若者同士が憧れる異性人異星人はでヤンスよ、超美形てことなんスね。へ?、意味不明?。ンな人は下の歌詞をどホぞッ。

 

ウツツぬかした美少年 この世の人と思えない

青い眼差し 冷たいね  燃える心も凍らせる

空の涙ね 流星は 銀河をすべる片思い

〈Wダブル・ユー / センチ・メタル・ボーイ〉

 

センチメンタルではなくセンチメタルというのが今風なんだけど、実はバブル華やかなりし頃の歌のリメイクなのよネ。当時はキララとウララが歌ってたんだけれどもが、アーアーけれどもがー、ちょっと時代の先端行ってて皆ついてこれなかったのかナハン?。

スっかスですネー、よくよく考えてみれば織姫彦星もコレっしょ?。コレっスねー。美形異星人的むかし話。

アタシはセンチタメルの方っス。50円玉だの100円玉だのが1センチの高さになるとちょっと高めのスナック菓子を買いに走る。

どーよ。超微軽なボクったら~ん。

別れた後あなたは……

Title : 行き止まりトンネル奥で思案中の大道芸人

後悔先に立たずと言フ。確かにそホであるとつくづく思フ。かつてザ・ピーナッツは大阪の女といフ名曲の歌詞中で次のように歌い上げて見せたのである。

もっと尽くせば よかったわ

我がまま言って 困らせず

泣いて別れる 人ならば

と…。この歌はボクのカラオケ指定曲でもあるファけで、

シンミリ感ひとしおジンジン、ジヒィ~ン、といったところか…。

誰でも常にあらゆる事柄で後悔しまくるわけで、

今度こそは悔し涙に暮れないよフにと

気持ちを新たにするものの、いつの間にやら…。

どうしてどうして 

出来るだけ やさしくしなかったのだろう

二度と会えなくなるなら

と悲痛な面持ちで歌われる松任谷由実のリフレインが叫んでる

主人公はスケジュールの合間、時間を見つけては、

かつて彼とドライブした想い出の場所に車を走らせる。

ひとつ前のカーブまで引き返してみよう…

あの駐車場に彼も来ている気がする…。

はかない夢、胸張り裂ける願望。

ありもしない幻だと知っている筈なのに。

今日も夕映えになってしまった。

諦めて帰らなければならない時間だと。

時の経過。

誰もが後悔に、未練に、折り合いをつけなければならない。

その時を迎える。その時が来てしまう。

何故来るの?。どうして?。

前へ進めないから。

進めなければ心の崩壊が始まるから。

クールファイブ前川清は楽曲神戸の中で自虐的で確信的な歌詞を吐き捨てる。

誰かうまい嘘のつける 相手探すのよ

誰かと一緒でなければ生きてはいけない弱さ。

独りでは到底無理だ。でも二度とあの苦痛を味わいたくはなヒ。

最初から本気になれない相手となら、偽りの恋愛ならきっと大丈夫だと…。

追い詰められた果ての恋愛虚飾。

罪だろうか。

声上げて笑う癖も すぐに涙ぐむ癖も

みんな

あなたと知り合い 覚えたこと

気が向けば 電話して

グチでも こぼして

完全に相手との音信を絶たない。面会すらあるという女心。

これもまた自己崩壊を防ぐひとつの得策かもしれなハい…。

むなしさつのる自己救出法かも。でも、

少しの間なら

立ち直れる可能性を探る時間稼ぎにはなるかもしれなヒ。

南沙織は当初シングルレコードB面だった気が向けば電話して

何とかA面にしたくて仕方なかったのだといフ。

この曲のスタンスこそが彼女そのものなのかもしれなヒが…。

悲しみに出会うたび あの人を思い出す

こんな時そばに居て 肩を抱いて欲しいと

中村雅俊歌フところのふれあい

この主人公は次の相手など想定していないようだ。

想定していたなら過去に囚われたいスタンスなど持つはずがなヒ。

憎い仕打ちと 恨んでみても

もどっちゃ来ない あの人は

柳ケ瀬ブルース美川憲一

ほろり落とした涙でさえエメラルドになぞらえる様子は

夜の街に生きる人間をほうふつとさせる凄みを感じる。

別れ。それと等しく重い、

そのあと