雨 / 毬と子犬 / 行っちゃダメ!

Title : 雨あがりに消えた鳴き声

 

 

★ 毬咲。まりさ。このエピソードの主人公。

 

日曜昼下がり、都会の雑踏ただ中。憂鬱な雨の中、

傘と共に二の腕の肌寒さも畳もう ( たたもう ) と、

足早に百貨店を目指す毬咲、ふと目を落とした

信号待ちの断裂傘群の隙間、

ひょろけたムク犬の姿に胸を突かれる。

 

ココア色の体色に真っ黒な鼻回り、

びしょ濡れで露呈した貧相な肉付き。

近寄って屈み、子犬を抱き上げようとして

左耳の上を誰かの傘骨先でこすってしまう。

軽い痛みを黒髪で流し投げ、素早くしゃがみ

子犬をトレンチコートの下に覆い隠す。

 

意外なことに、きゃしゃな子犬は彼女の眼下、

コートシェルターから飛び出す様に

よろよろと真逆方向へ小走り。

数人の脚で軽く蹴られながらも、足を止めようとはしない。

 

蒼ざめた毬咲は、素早く数メートル人林を潜り抜け、

再び子犬を貝襲うタコの要領で手中に収め、唇を強く噛む。

 

さっきと真逆側の信号が変わり、

向こう岸とこちら岸の入れ替わりが始まる直前、

毬咲は立ち上がろうとした刹那、

彼女だけは決して見てはならない光景を目の当たりにする。

 

彼女が交際を始めるかもしれない予感を持ちえた男性が、

恋人らしき女性と毬咲の前を横切る。

幸せそうな2人。子犬が2人を見せたといってもいい。

 

犬持ち込み厳禁のマンション一室に戻った毬咲は

子犬にドライヤーを当てた後、暑いシャワーを浴びながら

先ほど目撃した光景をフラッシュバックさせてみる。

バスタオルを使いながら置時計を右斜め見。

親友の麻子が食事に来るまであと30分もない。

続いて左見。キッチンの隅、冷蔵庫の横、隠れているつもりか

上目遣いに毬咲をジッと見上げ続けているムクちゃん。

 

ヘッヘッヘッ…、

ちっちゃな濃いピンクのベロが愛らしい。

 

「何食べる?。ミルクもあるんだよ」

 

そう話しかけ、冷蔵庫の取っ手を掴んだ時チャイムが鳴った。

 

“ おお、来た来た!、ちょっと早いけど ”

 

スリッパ引きながらドアへ歩み寄る毬咲より早く、

ムクが彼女とドアの間に挟み入り、クルッと彼女に向き直ると、

左右前足で切なげに宙をかき始めた。

 

「なあに?」

 

ア・ケ・ナ・イ・デ

 

そう懇願しているように見えた。不思議なことに。

 

毬咲はドアの前で気配を消したまま、ジッとムクを見下ろし続けている。

その間チャイムは3度鳴り、やがて再びの静寂が訪れる。

ムクの動作が同時に止ん だ。

 

毬咲はスリッパを脱ぎ、足音を消して窓際へ。

カーテン越し、信号機ライトや窓灯りをにじみ映している

イルミネーション道路を見下ろす。

 

麻子の車がない。代わりに数メートル離れた所に止めてある

ジャガーに乗り込もうとする彼の姿が視界に。

何しに来たのかしら、さっきの彼女はどうしたのかしら。

 

バカな私ッ。

 

発作的にトレンチコート引っ掛け、

目にも止まらぬ速さで廊下に裸足で飛び出す毬咲。

背後でキャンキャン聞こえるその鳴き声は悲痛!、

 

イッチャダメ!

 

エレベーターが閉まり、鳴き声が遮断された。

 

降りしきる雨に濡れそぼる2人が、もつれる様に抱き合いながら

部屋へ戻ってきた。もう毬咲の頭の中は

親友をどう追い返すかで一杯。

ムクの姿がないことには気付きもしなかった。

 

数か月の交際。結婚のプロポーズを待つ彼女に、彼は別のことを囁いた。

彼はAV業界の人間だった。

 

その翌月、毬咲は母の墓参りに帰省。何となく故郷に戻りたかった。

実家隣のおばさん宅でお茶を飲んでいると、

 

「そうそう、お母さんの写真、1枚あるから持っていきなさいよ」

 

手に取り覗きこむと、母が見覚えのあるムク犬を抱いている。

 

「この犬は?」

 

「ああ、入院する少し前に、見かけた捨て犬がかわいそうって、

連れて帰ってきたのよ、ザンザ振りの中、

びしょ濡れで可哀そうだったって」