Title: せせらぎを聴きながら
中学2年に進級すると児童達が忌み嫌うクラス替えがある。
顔見知りを見つければ助け舟気分、見知らなければ様子を伺い蒼ざめた面持ちで身構える。
陽光や風に肌をこすられ、渓流の水底の石達が丸く姿を変えてゆく様に、ボクらもいつしかそれに習う。
彼だけは違った。彼だけが違った。
だから皆も彼を遠ざけた。きっと1人が好きなんだろうと。
或いは、得体の知れぬ者に近づいてはならない鉄壁の防衛本能でソレを退ける。
「え?誰?。アイツ?。知るか。放っとけ」
誰も彼と喋らない。真っ黒に日焼けし、目だけが大粒ドングリの様にクリッとしている、やせっぽちの彼。
彼は誰からもイジメられず、彼もまた誰をも傷つけなかった。
何故なら彼は教室のどの席にも居なかったのだ。
実際は無遅刻無欠席の模範生徒であったのに、担任教師ですら、彼を時として見失うことがあった。
二学期登校初日、突然の席替え。
夏休みが終わりスクールブルーな児童らは、力なく机の私物を取り出し、夢遊病者の様に各所を漂いながら新しいタコツボに次々と身を沈めてゆく。
ボクの横は誰だ?…。遅れてやってきた者を見上げると彼だった。
一瞬だけ、彼の真っ白な健康白身の眼と、ボクの睡眠不足で赤く充血したタラコ眼が交錯。
すぐ2つの顔は磁石同極。強い向い風で目にゴミなど入らぬ様に。
二人用の机に座る者同士が、順繰りに日直ペアとなる掟。
「ヤカン(昼食時の)、ボクが取ってくるからサー、△△は湯呑(を持ってくる)でいい?」
と勇気を出して話しかけるボク。
話しかけられた事実に一瞬面食らう彼。一拍あって伏目のまま頷く。
皆が持参の弁当を食べ始める。
遅れてボク、そして彼。
食べ始めて驚いた。彼の食べ方が余りにも奇異だったからだ。
弁当箱乗せた机に覆いかぶさるように前屈姿勢、
両腕で鈍い光を放つアルミ製弁当箱を、
誰の目にも触れぬようにディフエンスし、
かぶせたままのフタを僅か(わずか)にずらしながら、
オカズが見えないよう全神経研ぎ澄ませて食べ物を口に突っ込む。
眼にも止まらない速さだから真隣のボクにさえ、今のソレが何だったのか分からない。
3センチの隙間に箸を突っ込んでは食べ物をかき出し、なくなればフタの角度を変えながら食物の在りかを探る。
ボクはポカンと口を開けたまま。
見られている不快感に全身を硬直させている少年。どうにか気配に気づき、慌ててボクも弁当を食べ始める。
それから1週間ほど経った。
自分でも驚いたのだが、ボクは唐突に彼の弁当箱上を這いまわっているフタ上に、ササッと自分の肉団子を乗せてしまった。
彼の目が驚愕で一層見開かれたその刹那、口に食べ物頬張ったままのボクは、
「旨い。ソレ。旨い」
何だこの言い方。外人がカタコトの日本語で日本人に話しかけているかのよう。
以外にも、彼は僅かに頷きソレを食べた。そして昼休みが終わった。
何事もなかったように立ち上がる2人。
ボクは翌昼休みも同じことをやった。やるつもりでいたし。実際にやった。
目的などない。中学2年生の深層心理など複雑極まりないに決まっている。
自分でさえも自分のしていることが分からない時がある。
ともあれ、彼は迷惑な表情など微塵も見せず、少し照れたように、そしてぎこちなく、毎回それを食べた。チョコッとだけ会釈する仕草をしてから。
それから2週間ほどしての昼食時、ボクは自分の言葉に耳を疑う。
「ボクにも何かちょーだいよ」
彼の箸さばきがピタッと止まった。数秒して「美味しくないよ」
「美味しくなくてもいいからサー、何かちょーだい」
彼は冷や汗を流すかのように、おずおずと茶色い何かを箱から引きずり出すと、ボクの白米の上にそっと置いた。
ボクは顔を近づけ、何だコレ、とパクリ。
ああ、大根の煮付か。ボクの嫌いな食べ物ベスト5に入る奴じゃないか。
「へええー、すっごい旨いジャン。お母さん料理上手なの?」
「お父さん」
「お父さん作った!。へええええー」。
翌日も、その翌日もボクは要求した。
当然の形としてオカズ交換(その都度1回)の慣習が出来上がる。
その時々で、ボクは彼の投下物を旨いと言ったり、イマイチといったり。
それに対し、ボクの投下物に彼は何もコメントしなかった。
強く頷きながら食べている時、それは美味しかったのだろう。口元に笑みが浮かぶようになった。
ボクが転校する時、遠ざかるプラットホームの友人達数人の中に彼の姿があった。
その時でさえ、友人達は彼を透明人間のように扱ったが、彼はさしてメゲる素振りも見せなかった。
ボクと彼のつきあいは昼食の儀式だけ。それは数か月間の出来事だった。
もはや互いの姿を完全に消失し終えた今、ボクは走り急ぐ列車の椅子にヘナヘナと座る。
目を閉じた刹那、弁当箱のフタを取り、並んで白米見せあって食べた彼との11日間がフラッシュバックした。
相変わらず2人の間にさしたる会話はなかったが、ボクは彼の笑顔の可愛さを認識するに至っていた。
その横顔を思い出した時、
ボクは上と下の歯が閉じ併せられない程、
泣いた。