早いか遅いかは関係なし?

Title : 「ア、オレ立ち上がり遅いほうだから」

 

 

ワールドカップで日本が初戦大金星。スターバックスでお茶していると、後ろから「まぁ、日本はサッカーの歴史、まだ浅いから。長い目で見なくちゃな。これからだよ」

確かに。友人にこのことを話すと、

「中国は資本主義世界経済参入、先進国と比べてメッチャ日が浅いけどな~」

確かに。

日本には “ 善は急げ ”というコトワザがあり、“  急がば回れ ” と併せて臨機応変にね、とご指示。というか、今ではあまり日常会話で使われないが。

教訓系昔話の “ ウサギとカメ ” なら小学校低学年で学ぶだろうか。

早いにこしたことはない。は皆の口グセ。確かに。遅かった、は良い意味で使われることは断然少ないのだから。いい意味なんて、せいぜい間合いについてくらい。でしょ?。

しかるに、ありとあらゆる事柄が日進月歩のスピード時代、その道のエキスパート目指すお方の、遅咲き、大器晩成、果たして損か得か、実に興味深い。

 

花形ではなくなったオーケストラ / 形式よりラフ・スタイル / 楽団の居場所

Title : Show Time

 

 

来たるべき近い将来には云々…。いつの世も大予言に戦慄する人類。

大衆を不安のどん底に叩き込む恐るべき予測、予言。

その道のエキスパート達により打ち上げられるアドバルーン。

石油枯渇によるエネルギー戦争、エイズによる人類滅亡の可能性…。

それらの予測が世界を駆け巡る時点で、頷ける信憑性は確かにあった。

あったが、人類は手をこまねいてはいなかった。

世界の英知、総力を結集して難関を乗り切る。

つまりは最悪のシナリオ回避。流石と言う他なく、

ただひたすら尽力される方々に敬意を表したい。

かつて、世界を全く、これっぽっちも駆け巡らない予測があった。

予測というより暗黙の事実だったから、

と言った方が良いだろうか。それは、

 

音楽は永遠。音楽は衰えず。

 

これは今なお全くその通りで、いにしえより不変の存在、

いつでも何処でも人類に必要不可欠なMUSIC。

ただ、全く信じられない落とし穴があった。盲点が。

 

クラシカルなスタンダード楽器の製造の落ち込み。

 

僅か数十年前、音楽家達やリスナー全てが完全に予測出来なかった事象だ。

世界大戦時代のアメリカ白黒TVアニメには

セリフの代わりにあらゆるオーケストラ演奏が場面場面の様相を表現した。

チャップリンのサイレント時代はもとより、

ヒッチコックの映画に至っても

オーケストラによる場面緊迫表現が大半を占めていた。つまり、

クラシック・コンサートに限らずオーケストラは、

他のあらゆる総合芸術に必要欠くべからざるものだった。

映画のテーマ音楽華やかなりし頃、それは

オーケストラ抜きには考えられなかったほどだ。

 

 

Title :エッグ・コンダクター オーケストラが蝶ネクタイだった頃

 

 

オーケストラに使用される楽器は、ジャズの楽器でもある。

やがてロックが現れ電気楽器が異様なまでに世界を席巻するが、

オーケストラ楽器はそれらと共存し、特に

ピアノやバイオリンは重要な橋渡し役を務めた。

現在も引き続き努めては、いるものの。

 

頻度が低下した。

 

ラップの台頭。これは凄い。オーケストラ楽器はおろか、

エレキギターやドラムスさえお呼びでない楽曲も多数を占める。

世界がデジタル化してゆくのに比例して、人々の感性もデジタル化を始めた。

人間性を上回る幻想世界へのダイヴ、

トランス・ミュージックがさざ波を立て始め、

人間性を前面に打ち出すラップがそのさざ波にクラッシュ。

反駁し、ダンスミュージックがそこに割って入る。

ラテンミュージックは依然ブラスと仲良し、

磨き抜かれたスタイルに拍車がかかる。

ロックもそう、ジャズもそう。

変わらぬことではオペラも忘れてはならないが。

だが、だがしかし、やはりオーケストラの出番は見る影もなく減った。

グラミー賞を見れば認めざるを得ない。

となれば、オーケストラ楽器演奏家予備軍は確実に減るというものだ。

サックスやトロンボーン、チューバを販売する楽器店を

都内で見たことがあるだろうか。あまりの店舗の少なさに呆然とする。

高価であることもマイノリティー主役の時代には不利な立場。

 

近年の映画作品は暴力をテーマとするものが非常に多い。

破壊に走るアドレナリン全開は、

秩序だったオーケストラ形式を嫌うのかもしれない。

ダウンタウンの匂いがないことに憤りを感じてみたりするのかも。

無論、映画会社ではなく大衆の要望でだ。

 

音楽は感覚。楽器の数量図式が大きく塗り替えられたということは、

要するに人間の感覚が著しく変容したという証明。

オーケストラの野望は時代に阻まれ、本来あるべき縄張りに収まったという事か。

 

 

Title : 淑女はドレスで交響楽

 

 

千の風になりたい理由

Title : 千の再会

 

 

 

圧倒的な全国支持を受けた楽曲  ♪ 千の風になって を聴いていると感慨深いものがある。人は一戸建て住宅、持ち家を望む。一国一城のアルジ。近年はマンション志向の人も富に増えはしているものの、独立した持ち家を望む人は多い。

自分だけの、自分の家族だけの自由な領域。自由な世界。

 

お寺のお墓は一戸建て住宅、都会のBOX型お墓はマンション形式。

♪ 千の風になって、では、私はお墓に居ないのだと告げる。

持ち家がお墓と言う名前に変わった、というだけではなかった。

そうではなかった。

人の役にたちたい。誰かの傍に居たい。肉体が滅び、魂だけになってなお、人の想いは変わらない。永遠に。その地に縛られる持ち家と大きな空を吹き渡る魂。そのコントラストを繋ぐものは人と人との触れあい。畑に降り注ぐ煌めき (きらめき) の風は親と子の懐かしき再現のようでもある。

 

 

生きているのに、肉体を持ち合わせているのに、度々その事を忘れてしまいそうになるボクは、度々に愚かだ。

世界ヒーロー大百科事典から / 進化し続けるバットマン

Title : 飛行するバッホエ

 

 

コウモリであるところのバット、そしてクジラであるところのホエール。この両者の長所のみを併せ持つバッホエマン。ドイツ語ではバッハマン。

口から塩水を吹き悪党を倒すことで知られており、素性は不明。

体長2~3cm。世界各地の鍾乳洞内、観光客が捨てた空き缶などで爆睡している姿が時折確認される。

 

時代と共に、映画に登場するバットマンの出で立ちも大きく変化したでゲス。よりゴッツく強靭なハードコスチュームになったゲス。まあ、核弾頭なんぞを阻止奔走するわけでありますから、それに見合ったスケール・コスチュでなければなりまッせん!。

当初の実写版TVドラマのバットマン・コスチュームは新体操の素材のように超薄着でゲシた。釘にでもひっかけようものなら即ビリビリ、今時分だと確実に風邪引くでゲス。

夜の世界、闇の世界の象徴だったコウモリも、やたらと日中駆り出されることが度々でゲショー?。

それだけ事態は、時代は、巧みに複雑化してるってことッス。

バットマンに限らず、やはりタフでないとねぇぇぇぇ…。

新しい誰かの為に私など思い出さないで

Title : 天井裏のフシ穴から真下を覗くとハッタリハンゾウは物思いにふけっているところであった

 

 

 

梅雨でもなヒのに、今日はまるで6月梅雨時を思わせる感じがしてしまフ…。

こんな時、人は湿度の重みが身体にのしかかるのを感じずにはいられない。

でもちょっと待って…。 ムファッ…

こ、これってマサカ、心の湿度、すなハち溜息のミナモトであるところの過去のワダカマリの重圧こむら返りッ ?!。

それとも、さッ最近は持病じゃないかと疑い始めた腰痛や肩凝りがもたらす将来へのバクゼンとした溜息感のシボミ風船ッ?。

ハゥクッ!。

 

新しい誰かのために わたしなど思い出さないで

声にさえならなかった あの日のことを

季節は運んでく 時の彼方

六月は蒼く煙って 何もかもにじませている

雨のステイション

会える気がして

いくつ 人影 見送っただろう

 

〈松任谷由実 / 雨のステイション〉

 

 

新しい誰かのために…。わたしなど思い出さないで…。

 

そホ。新しい誰か…。もう私は新しくはない?。そホね。

あなたにとっては。

他の新しい人達にとっては、わたし新しい誰かなのよネ。

わたしなど思い出さないで?。…そフね…。

それは思い出してくれないかなって願望の裏返し。

だいじょホぶ。きっと思い出したりしない。何かのハズミ以外では。

 

新しい誰かのために わたしなど思い出さないで

 

そホ。新しいわたしに近づいて来る、新しい誰か。それホ待とうよホ。

それが梅雨開けってことでしょフ。雨がリフレインするから梅雨だもんねヘ。

そホ…。今日はまだ梅雨でないの。ボクったら間違えちゃったんだね。

ハァフッ。

スマホのバッテリーとカニの関係 / 重要度の変異

Title : 耳よりな情報大魔王

 

 

カニも痛みを感じると最近判明。なので皆さん、生きたカニをいきなり熱湯に放り込むのは残酷ですから気を付けましょう、とラジオの声。暴れるカニの姿を見るにしのびない、と。でも結局美味しく食べる。

驚く…。

カニに麻酔をかけ食べるべきか…。

 

スマホにカバーは放熱阻害でバッテリー劣化、特に革カバー。こんな知識を知りつつカバーする人が大半。だってスマホが滑り落ちて破損するよりマシだから。可愛いカバー、付けずにおれるかッ。

なわけで大半の人がカバー付け。

賢い知識より気分が優先。本質ズレまくりだけど分かるようなその気持ち。

錦織圭の大活躍でWOWWOW加入者が爆発的に増えたのも、まだまだ記憶に新しい。数々の名作映画より自国の選手活躍なら視聴料も何のその。

 

内容や質より気分、それが今の時代。東南アジアの若者もメイドインジャパンのバイクより装飾性抜群のヨーロピアンだし。

 

やっぱり、常に今日の美術嗜好性を窓の換気の様に取り込める企業が、何より勝者。

分析より視覚の時代。これにNOと言う経営者、ちょっと不安かも。

ワールドカップとイタリアとベネチアと

Title : 世界中の視線を集めるとボク的にはこんぐらいかなと

 

 

イタリアがまさかのワールドカップ不出場。祖国の威信と存在を世界に示す絶好の好機といえる祭典において。

イタリアのフットボールファンには残念な結果だが、イタリア市民にはさしたる問題ではない。

水没するベネチアを救おうと世界の英知が動いている。美しき水の都への祈りは世界中から寄せられているのだ。

視線は連なる。七つの海のさざ波の様に。

 

イタリアよ、祖国の存在は充分だ。

シグナル / TOKYO・SOS・CITY

Title : マヌカン星人

 

 

何にでも兆候はある。注意深く観察していればたやすく分かる。

20数年前、女子高生ファッションとしてルーズソックスがあった。マスコミが紹介し有名になった。

足首の太さをあざ笑われる。それを隠す目的のルーズソックス。

ズボンを腰よりはるか下までズリ下ろすファッションが流行った。

足の短さをあざ笑われる。それを回避するために、錯覚だよと。

渋谷でヤマンバメイクが一部女子の間で流行した。

顔立ちの悪さをあざ笑われたくない。その自衛手段だった。

全てはボクの独断分析。きっとデタラメだと言われるだろう。

 

どんな不可解な事象にも、必ず理由はある。

普通の人は言う。オマエはモノゴトを悪く取りすぎだと。

目に染みる若葉を見ましたか

Title : ずっとずっとずっと

 

 

数日前、ブドウパンを買いに夕方スーパーへ向かった。珍しく徒歩で向かった。明るい夕暮れ。六月ならではの日の長さ。実にそよ風も心地よく、束の間穏やかな心持ちになれた。

セーラー服の高校1年生くらいの女の子が向こうから歩いて来る。

うつむき、両手で自分自身を抱き締め、かなり年老いた人の様に背中を丸め、蒼ざめた絶望の伏目で、僅かに何か想いを噛みしめ噛みしめ、早くももなく遅くもなく歩いてゆく。目に染みる若葉の緑はその子の視界にはない。

通りの音も、すれ違う散歩犬の笑顔も、雑踏のざわめきも、帰宅後の明るい会話も、お風呂上がりのくつろぎの時間も、眠る楽しみも、明日登校後時の期待もない。

 

何もないのはすぐに分かった。すれ違いざまに確信した。きみの深い悲しみが今日だけの事では決してないことも、すぐに分かった。もしも、ひとつだけその子に何かあるのだとしたら、持ち堪えられるかどうか、という疑問符。

声などかけてはいけない。気遣って呼び止めてはならない。どうしたの?などと口が裂けても話しかけてはならない。ボクは変質者の疑いを賭けられる可能性が在る。それが今の日本の常識だから。

 

代わりにボクはただ1度振り返っただけで何もせず、ただ歩いて目的地に向かう。不覚にも涙がこぼれた。無能。冷たい人間。

 

 

どうしていいか、分からないよ。

細く長く、太く短くに続く第三の人生訓とは

Title : LIVEMAN

 

 

日本には昔から “ 細く長く生きる ” “ 太く短く生きる ”という対極の人生スタンスがあローネ?、マレーネ・デイトリッヒ、古ッ(爆)。同じ様なものが海外にも多数存在することと思われるッス、トリプル・ルッス。

無理せず地道に目立たず道踏み外すことなく無難に日々を過ごし長生きする。

か、無茶してまでド派手に自分のやりたいことを全力傾けのめり込み燃え尽きる先がなくとも悔いはない。か、二者択一究極宣言裏表。

とまハ、人生の過ごし方、使い方な訳だが、スポーツ選手はプロアマ含めて体力勝負な訳だから、おのずと “ 太く短く ” な選手生命である。ちなみに選手生命に生命保険は適用されない。宇宙からの謎の生命体にもだ。

今現在、日本の若者は “ 太く短く ” な人も有ろうが、断然、

“ 細く軽く短く” が圧倒的だ。

柔わっこい食物しか食べないので、近年とみにアゴの骨が細い人が急増してきたというのは周知の事実であるが、それ同様に

存在感消したがリーノ、ライト感覚、重いの嫌いーノ、すぐに名誉なき撤退オイラいち抜けターノ、で全く新たなロマンなき人生訓のお誕生!。

かつて、日本がライト感覚大流行り創世期の嵐の中、

アサヒ・スーパードライとシャウエッセンのコラボ(両者の新発売差は約2年)が一世を風靡するという奇妙な現象が勃発したことがあったゲナ、あーあー、あったゲナ。

そリはどユーことホオ?。

すんばらしければライトも吹っ飛ぶこの重みチウことなんだなこれが。

つまりは、今の “ 細く軽く短く” は、外出時の人生訓で、実は自分のお城の中では、

“ 太く短く” と使い分けられてるかもしれんのだヨ!、ダヨダヨーン!。

そホ。ツンデレがアリなら、これもアリ。何蟻かは不明。

自宅内の太く短く、は大好きな余暇タイムとそれにまつわる出費で貯金なしだと、いわば、グワバ、短くチウわけなんだッシ。

ウーン、しぶい。空恐ろしい程にキマッた。ガンぎまりだべ。