title : Don’t care about the rumors of people
Put your head on my shoulder
hold me in your arms, baby
squeeze me oh so tight show me
that you love me too
オレの肩に 頬をうずめて
その腕で 抱きしめてくれねぇか、ベィビィ
強く抱きしめて オレに見せてくれ
同じ様に愛してるってことを
ネコは唯我独尊、気ままで自由。だけど自分1人じゃ乗り越えられないことも…。どうしよう。どうしたらいい?…。見てよ、あの立ちつくす後ろ姿!。だけどアレって、もしかしたらボク?…。それとも、キミ?。
title : Don’t care about the rumors of people
Put your head on my shoulder
hold me in your arms, baby
squeeze me oh so tight show me
that you love me too
オレの肩に 頬をうずめて
その腕で 抱きしめてくれねぇか、ベィビィ
強く抱きしめて オレに見せてくれ
同じ様に愛してるってことを
Titele : alone King
Don’t you see that now you’ve gone
and I’m left here on my own
that I have to follow you
and beg you to come home
◆ この胸のときめきを〈エルビス・プレスリー、歌〉
Title : My sweet Lord〈私の優しき主〉
I really Want to see you
Really want to be with you
Really want to see you lord
but it takes so long, my lord
ボクは心底あなたに会いたい
心底 あなたと共にありたいのです
心の底からあなたに会いたい、主よ
そう願ってから随分になります、主よ
Title / Bad Romance
I wish to sincerely main Lady GAGA health recovery !!
レディーガガの健康回復を主に祈ります。
Title : Great dancer
I can’t care less what you think
I need no premission did I mention
アンタがどう考えッかなんて 気にするかッつうの
アンタの許可なんて 必要ないッしょ
アタシそう供述したわよね?
日本語でネズミ、英語でマウス。ネズミって呼び名、あんまり耳障りがいいとはいえないよねぇ~。カジる、カジられるを連想しちゃって、あんまり気持ちがいい感じはしないよねぇ~。それが証拠に日本じゃ親しみやすいネズミのキャラなんて昔っからないもんねぇ~。それどころか、ドブネズミなんて侮蔑の言葉にもなってるし、実験用のハツカネズミの功績たるや凄いけど、それでもやっぱり日本じゃペットとしての人気はかなり低いってもんだよねぇ~。
アメリカが世界に誇る2大マウスの大スターといえば、ディズニーのミッキーマウス(関連マウスを含む)とワーナー・ブロスのジエリー(関連マウスを含む)。
面白い点は、ネズミ嫌いのここ日本でさえもミッキーマウスとジェリーの人気が不動であること。本当はここにイタリア生まれのトッポ・ジージョが名前を連ねるべきなんだけど、残念ながら知名度がかなり低いんだよねぇ~。アニメーションだとか映画だとかの媒体に乗せなかったのが敗因なんだろうねぇ~。すっとぼけててボクは大好きなんだけどねぇ~。シャイでモジモジしてるとこもなかなかでしょ。
日本で両者が大人気なのは、ブッチャケ、皆さんミッキーやジェリーをネズミだと思ってないんだよねぇ~。思ってるけど思ってない。まさに本質忘れイメージに生きる、の典型。それを可能にしたのがディズニーやワーナーの魔法。もはやマジックだと断言しちゃっていいでしょ、ここまで来るとねぇ~。
そこまでとはいかないけど、テディベアにもコレ、ある程度当てはまる。熊だって可愛い顔してるけど、恐ろしい生き物だったりするわけだしねぇ~、犬や猫とは明らかに違う獣。だけどやっぱり、テディベアは子供と大の仲良し、お友達。
現代はイメージが本質を打ち負かす時代。これまでもそうだったけど、今に比べたら可愛いもの。なにせ昔は全世界に噂話が駆け巡る、なんてツテがなかったもんねぇ~。それこそマウスが無かったでしょ。
本質は見えにくくて、イメージは見えやすい。本質は掴みにくくて、イメージは掴みやすい。本質はゴチャゴチャしてて、イメージはサクッと単純明快。本質は人々をケムに巻くことが出来るけど、イメージはもともと人に見える様に人が作るものだから、一旦ダーティーなレッテル張られちゃったらハイそれまでよ。逆にクリーンなイメージがインデックスされたなら世界だって席巻出来ちゃうトルネード!。この違いって驚愕もので脅威もの。
テクニカル的にはイメージ先行商法が大変賢く効果絶大。当たればナイスな高感度イメージが増幅を重ねて1人歩きの大成功。
イメージより本質で勝負出来るのは実用性が求められる物。便利で実用的でなければお話にならないもの。例えば車。イメージより本質。アメリカの大西部真っただ中、ロシアの大雪原の真っただ中、車がエンストしちゃったらアウト。命の危険すらあるからねぇ~。イメージなんて言ってらんない。
イメージと人間。これが一番やっかいで恐ろしい。ひとたび人間に付いたイメージを払拭するのは至難の業。ブラッド・ピットやジョニー・デップは善玉悪玉何でもござれの名優だけど、子供を残忍に殺す役、出来ると思います?。絶対ムリムリ、だって世間が絶対それを許さない。例え、役者として迫真の演技に挑戦したいから、と本人が崇高な理由を掲げたとしてもダメ。まず映画会社がOKしない。だって興行成績低迷は火を見るより明らかだから。良きパパ、家庭を大事にするキャラクターイメージの権化シュワルツネッガー、カリフォルニア知事選にこのイメージが関係しなかったとは到底思えないし、彼が知事退職後、映画復帰第1作目が麻薬のディーラーだなんて絶対世間が許さない。
映画 “ プリティー・ウーマン ” (1990年、ブエナ・ビスタ・ピクチャーズ)は何故当たったか。答えは明々白々。リアルな娼婦イメージを持つ女優を使わず、真逆のジュリア・ロバーツをヒロインに起用したから。だってジュリア・ロバーツといえばインテリ、かしこく健全、ホワイトカラーのイメージ有り有り。観客は誰もモト娼婦などとは思っておらず、彼女を現代版シンデレラに重ね合わせているのみ。イメージを逆手にとったワザありの1本、凄いッ。
◆写真タイトル / トッポジージョ
★ネコならエッセイ / 当ブログのエッセイ文、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。
間接灯がもたらす多大なる人生の恩恵を、
もっともっとボク達は享受してもいいのではないだろうか。
温かくて柔らかみのあるマーマレード色の癒しを、今よりずっとずっとボク達は身近に引き寄せてもいいのではないだろうか。
日本人は刀を捨て銃も遠ざけてきた。
それらと対局にある心の灯(ともしび)を、きっときっとボク達は取り戻し引き寄せるべきではないだろうか。
時として大人のボクらも度を失うことがある。
傷ついて打ちのめされてしまえば、
ボクらはもう成すすべなく泣きじゃくる子供と同じ。
やさしく幼心(おさなごころ)に寄り添う小さな灯の女神は、
心の死角に隠れて震えている傷跡に光をかざしたりはしない。
ただ心と瞳にささやきかけるだけ。魔法の呪文の息遣いで、
私ヲ 見ツメテ 下サイ
絵描きは老けない、という言葉がある。
多くの色彩に包まれて暮らす画家の肌を若々しく保たせているのは色彩。
色とりどりの色彩が人間の組織を活性化させる事実は海外でよく知られている。
色彩の中でも特に人の心を癒す色というものが在る。それはブルー。淡いブルー。
「緑かと思ったぜぇ…。ハズレかよぉぉぉ…」という人、たくさん居るかも。
確かに樹木の緑は人々を和ませる。癒す。
しかし、同時に不安を与える要素も兼ね備えている。
ハリウッド映画の宇宙人系は緑色が多い。超人ハルクも。ジム・キャリー主演のマスク、なんてのもそう。
たまたまではなく、色彩心理学では緑を未知なる謎、不可解なものへの憧れ、極端に飛躍した個性の意思表示、
と位置づけている。
奇抜なアイデアや考えにとらわれているいる時、
緑に惹かれる。
クリスマス・プレゼントの定番包装紙といえば、赤プラス緑。
これは人に胸騒ぎを起こさせる効果を持つ組合せと言われている。
そうなのかあ~、胸騒ぎなんてクリスマスにピッタリじゃないですかあ!。
胸騒ぎって、いいこともあるし悪いことも。その不安パーツを受け持っているのが緑ってわけ。
赤は競争や闘争。嫉妬ムラムラ、
ワインレッドまでトーンが落ちれば嫉妬度数は最高潮。
闘牛士のムレータ(手に持つ赤布)見れば分かるよね。つまり癒しの要素はかなり低い。
黄色、特にレモンイエローではなくて真っ黄色。
これは突拍子もない気分の時に大ウケの色。
羽目外しまくり、ドンチャン騒ぎ、こんな時に黄色を見ちゃうと拍車かかりまくりのフルスロットル!。
茶色は思慮深い落ち着いた色。
先生がコレ来てると生徒は安心、落ち着きやすいと言われる。
人はじっくり考えたい時、アイデアを模索する時、この色に惹きつけられる。
紫は精神状態を操る(あやつる)クセ物。
位の高いお坊様の紫ケサは崇高な気高さを意味するし、
赤の目立ちたがり屋さんと青の夢見がち屋さんが混ざって出来た色だけに、
心の複雑な葛藤を内包している。
青は夢見る夢子さん。さわやか、清純、不完全、希望。
だから青空見上げりゃ心も晴れる。明日を感じる。
青春も青い春。つまりはそんな意味。
青が淡ければ淡い程、その意味合いは強くなり、濃くなればなる程、それは遠のく。
だって黒に近づいていくから。
暗い群青色は油絵具ではインジゴと言って、とっても繊細で邪悪な色。
この絵具を使いこなせる中世の画家は、さほど多くはなかったという。
黒。現在、世界中の都会人に好まれている色。
特に衣服で多用。全てを隠す、開示しない、暗黒の意味。
白。まっさらで白紙。
偏見なしかと思いきや、不純なものを許せない気分に。
厳格さを重んじる気分の時に強く惹かれる。
正義の忍者ガッチャマン見れば分かるよね。
聖歌隊の子供達の服だとか、
ルールが全てのスポーツマンのイメージ。
灰色。子供が最も関心を失う色と言われている。
何となく分かる気がしちゃう。遊び気分を除外する色だからこそ、
サラリーマンの背広だとか作業服に多用される。
マジメなイメージはあるけど人をションボリさせる面もあるよね。
これらの色彩心理学データをもとに、少しずつ間接灯のコレクションをしてみては如何だろうか。
「茶色の部屋灯?。見た事ないぞ!」
確かに。
パラフインでもセルロイドでも、布でも紙でも、
色々な色を白色灯に巻いたり、覆ったり、
色々工夫すれば宜しいのでは。(ソレらが熱い電球に直接触れないようご注意)。部屋がムーディーになるだけではなく、気持ちが落ち着く、癒されるだけではなく、本当の目的は自分の心を豊かに育む(はぐくむ)こと。
豊かに?。具体的に!。
人の気持ち、思惑、が前よりも鮮明に見えてくる程に
心が成長を始めるということ。
相手のことだけではなくって、ア、あの時、私ってこういう気持ちだったから◇◇だったのか、
なんて自分の心の姿勢まで見えてくるようになる。
花には水を。緑には太陽を。これに加えて人には愛を。
愛には間接灯を。
◆写真タイトル / おめかし (写真下は薄生地スカーフをかぶせる前のスタンド)。カモノナカ自宅にて。2点共。
こんなことがあるのだろうか…。そんなバカな…。
何故このような理不尽さが
大手を振ってまかり通っているのか…。
幸福を勝ち取ることに、全身全霊で生涯挑戦し続けた “不屈王 ” チャールズ・チャップリン。ボクには “ 喜劇王 ”というイメージは皆無。
人間と見なされず、扱われず、家畜の様に鞭打たれたアメリカ黒人奴隷制度時代のアフリカ人達が生み出したゴスペルが、神に捧げる “ 陽気な歌 ” だというのであればチャップリンも喜劇王になってしまう。
人生の苦しみや悲しみ、絶望、つらいからこそ微笑む。“ 微笑 ” (ほほえみ)という手段で、武器で、自分を飲み込もうとする破滅と絶望に立ち向かう。
微笑は喜びという意味ではない。喜びは自然とにじみ出てくる笑顔のことだ。
微笑は、自分を打ち負かそうとする人生の苦難に立ち向かうための旗印。
微笑はスマイル仮面症候群とは全く立場を異にする。気に入られたい一心で作り笑顔を続けるあまり、やがて本人の顔が作り笑いの顔立ちになってしまった、というものとは全然違う。
微笑は自分を愛おしくいたわり、自分の失われゆく自信やプライド、尊厳を私の名誉に賭けて取り戻そうとする、人間のあるべき姿なのだ。
チャップリン作曲のスタンダード名作 ♪ スマイル ♪ (ジョン・ターナー、ジェフリー・パーソンズ作詞) 歌詞中にこんな一節がある。
心が痛んでいるのなら 微笑を
心が砕けてしまっても 微笑を
心が沈んでいても( 直訳:雲が空にある時でも )
何とか やり過ごせるよ
恐怖と悲嘆にくれても
アナタが微笑むのなら その微笑みが明日になるかもしれないよ
輝く太陽が アナタに降り注ぐのが 分かるはず
この普及の名作は、1936年、チャップリンの映画 “ モダン・タイムズ ” にインストゥールメンタルとして挿入され1954年に歌詞が付け加えられた。あまりに多くの著名な歌手達(ジュディ・ガーランド、バーブラ・ストライザンド、トニー・ベネット、ダイアナ・ロス、ロッド・スチュワート、マイケル・ジャクソン等) によって歌い継がれ、その価値は全く色褪せることなく今日に至っているが、ボクが最も注目したのはスティービー・ワンダーがスマイルを歌ったということ。
御存じの通り、彼はこの世に生を受けるとほぼ同時に盲目(未熟児網膜症)となった。楽曲スマイルの歌詞には空に在る雲、輝く太陽、といった視覚描写が有る。
彼がボク達に教えてくれるのは、物理的に見えることしか信じないのなら、人生の苦難に微笑をもって立ち向かえない、ということではないだろうか。彼の心の心象風景には、悩みや苦悩の暗雲の日、きらめく陽光が降り注ぐ日、ありとあらゆる心模様が在る。
子供が “ その人の単なる空想でしょ? ” と本気で言うのであれば、じっくりと根気よく、時間をかけて子供と対話しなければならない。
「あの人、涙流してるのに何で笑ってるの?」
微笑と笑いの違い。生涯を賭けてでも分かって欲しい、切なる願い。
◆写真タイトル / どれを選ぼう
★ネコならエッセイ / 当ブログのエッセイ文、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。
Title : American Pies
And in the street the children screamed
The lovers cried and the poets dreamed
But not a word was spoken
and the three men I admire most
The father, Son, and the Holy Ghost,
They caught the last train for the coast
The day the music died
And they were singing
Bye- bye, Miss American Pie
Drove my chevy to the levee
but the levee was dry
and them good old boys were drinkin’
whiskey and rye
Singin’ this’ll be the day that I die
This’ll be the day that I die
そして、通りでは叫んでる子供達、
嘆く恋人達、 夢冷めやらぬ詩人達
でも 誰も言葉を発してないんだ
ボクが最も崇拝する三人の男、
父と子と精霊。
三人ともコースト行きの最終列車で行っちゃったよ
だって音楽が消えて失くなってしまったんだからね
そうして、みんな歌い続けてた
堤防までシボレーを走らせたんだけどサ、
堤防は乾燥しちゃってるし
そこにいた懐古趣味の大人達がね、
ウィスキーだのライムだの飲みながら
歌ってたってわけ
歌って言うには
“
バイバイ、イケてるアメリカっ娘
音楽が失くなりゃ、それがオレの死ぬ日だぜ ”
★ アメリカンパイとは、アメリカの食べたくなるほど可愛いお嬢さんという意味。日本では、心が死ぬ、愛が死ぬ、などとは言うが、音楽が死ぬ、という言い回しはしない。この違いは何故か。アメリカは文字通り音楽と人生がイコール。ヒットしたかどうかが良い歌の価値判断になる日本と違い、アメリカにおいて歌は魂そのもの。ヒットしたからどうの、という受け止め方はない。日本では一曲だけ大ヒットさせて消える歌手を一発屋と呼びアザ笑うが、アメリカにはその感覚が存在しない。優れた歌を歌い継ぎ、ひたすら聴き続けるだけだ。
ドン・マクリーンの実体験はアメリカン・パイ一曲に集約された。歌詞で歌われる嘆く恋人達。何故嘆いているのか。それは音楽が消えてなくなったから。ここでいう音楽とは讃美歌やゴスペルのことだと推察される。戦争により人々は神の存在を疑い始め教会へ行かなくなった。恋人達は結婚しやがて子供を設ける。教会がなければ名付け親もおらず神父もいない。父と子と精霊は存在価値がない。主人公は魅力的なアメリカの娘達に未練を残しながらも街を去る決心をする。
この歌がアメリカのヒットチャート第一位を獲得した頃、日本は未曽有のいざなぎ景気に沸いていた。音楽業界は花盛り、ヒットさせるための歌が次々と世に送り出され、思惑通りにヒットを続けた。