インターネットは多くの人々を、ありとあらゆる面から救う。
ボクも人々同様、何度助けられたか数えきれないし、それは死ぬまで変わることはない。インターネットを覗き込めば、そこに在る素顔は気の遠くなるようなおびただしい人々の顔。熱狂だったり、さりげなかったり、ありとあらゆる百面相。
1人1人が生命をサイトに吹き込んだ。まるでパンドラの箱そのもの。
クリックを重ねるうち、ボクも画面上に加わりたいと思うようになってきた。
そう、皆と同じように。でもボクには人々の役に立つような情報の提供など逆立ちしたって無理。ボクがブログに書き込める事柄はたった1つしかない。
きわめてアナログで、極めて不確かな、人の気持ちに関する、たわいもないエピソード。
それしかない。それが誰かのためになる、役に立つ、なんて自信もなければ才能もない。
「じゃあ何で書くの?」
よく分からないけど強く強く書きたいと思うから。
「じゃエゴ?」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。全く分からない。それなら確かめてみるしか手立てはないのカモノナカ。
◆私のエッセイに使用される言い回しや語句は正しくない場合があります。どうしても自分の表現したいニュアンスに合っているいるものを率先して使用したいからです。
◆私のエッセイカテゴリの “ 猛烈児童 ” は、全編が私の体験を綴ったもので創作ではありません。
文中、あらゆる固有名詞が記されないのは、一切の具体的かつ現実的なイメージを読者に構築して欲しくないからです。
理由は唯ひとつ、読んでくれる方々に場面を想像して欲しいのです。
それには具体的固有名詞が邪魔であると考えました。
自由な創造の絵柄を固有名詞が邪魔をし、たちまち現実に引き戻してしまうに違いない、と。それは嫌だと。
◆ブログタイトルの「ネコならエッセイ」ですが、ネコにした理由として、
ネコの持つ雰囲気や習性のイメージが、私達に似ていると思えてならなかったからです。
一見何を考えているか推察しにくい生き物。
でも、一生懸命考えているに違いないのです。どんな風に考え、どんな風に感じ取ったのか、私に解る術はありません。
そんなことを考えるうち、遠い昔、私のあの日あの時の気持ちを確かめたくなりました。ブログを書くことでそれを掘り起こしたいと企んだのです。
◆エッセイ “ 雑談爆発 ” は、私の実体験や実感で綴られるエピソードです。あくまで私の主観でしかなく、世間一般の常識というわけではありません。
創作の形を執るものも有りますが、テーマは実体験に基づく断片的な独白です。
◆ “ ダイエット ” は私の体験談と創作エッセイ。絶食ダイエットは、こんな記録でも何かのお役に立てればと恥を忍んでの掲載です。アッ、恥は全メニューにくまなく散布されておりますね。⇒2018年夏、他のメニューに移動。
◆“ Impression Gallery ” は、私の独断見解のモノローグ。あらゆるテーマをランダムに。このメニューにも含まれているイラストレーションの数々は私のオリジナル作品で、作品に関する全ての著作権は私に帰属します。
◆ “パチンコ丸シロー”、“ おとぎ話秘話 ”、“ ロボットギャラリー ”、“らくがきマンガ”は、見ての通り、読んだ通りの創作モノ。楽しんでいただけたら幸いです。“ 女性 ”も創作短編。私なりの女性イメージを綴りました。
◆ “ 猛烈児童 ”、“ 少年 ”は、私の実体験の記録、ノンフィクションの短編です。“ネコとトト”も私の実体験、こちらは趣味である釣果写真の記録です。
◆ “ 揺れない揺りかご ” は精神世界における私見の集約です。幼少時より人間の感情、気持ち、心なるものへの関心が強く、それを考えあぐねるうち、多くの人を通して突拍子もない見解が生まれたのです。それを綴りました。
◆ “ 空中分解システム ”。長年の間に、私が係わった事例とその私見的理論の見解です。医学的根拠にとらわれず、経験的な肌感覚を伝えようとする試み。
◆ “歌が聞こえる” は、私がYouTubeで聴き回った数々の歌謡曲、その印象をテーマ別に集めたものです。聴こえる、ではなく、聞こえる、としたのは、視聴している状態ではなく、どこからともなく聞こえて来た、というイメージからです。
◆ “SONGS” は、私のお気に入り洋楽曲それぞれに、私の主観でイメージCGを付けたもの。CDの回廊を巡る個展のイメージです。
◆ 私のブログに使用されている写真のほとんどは、私が自身のケータイ及びスマホで撮影したものです。写真はbmpとpngでの掲載。写真加工ソフトを使用しています。