Title : 色白タヌキ
Title : タヌキの威を借るブタ
カチカチ山(日本の民話)の汚名や
分福茶釜(日本の昔話)の醜態はあるものの、
その狸エピソード、今や人間の間では薄れつつある。
それに引き換え、依然として人気も色あせぬは
タヌキが主役のスタンダード数曲。
♪ タンタン タヌキの…… ♪ 、や ♪ 証城寺のタヌキ囃子 ♪ 。
しかもこれらは単にスタンダードであるばかりではなく、
証城寺などは野口雨情作詞、中山晋平作曲
という日本を代表する偉大な作詞家、作曲家の手によるもの。
つまり、これらが歌い継がれているという事実は、
日本におけるタヌキの地位が
ゆるぎない不動のものだ
と証明したも同然、
タヌキがいかに民衆に愛されているか
吹聴して回っているも同然なのである。
これらの認識を踏まえ、
食料不足の折から、タヌキ達は大都会東京で
人々と共に暮らす事にした。
何しろ、自分達は一般大衆に愛されているのだから、
餌を分け与えて貰えるはもとより、
少々ならば人間の食料を失敬しても
オトガメはなしであろうと。
しかし、タヌキ達の認識は全く見当はずれのものであった。
住処(すみか)を出入りするタヌキを
目撃した人間達は目を剥いて仰天し、
役所へ駆除を求める者、石つぶてを投げつける子供など
が続出したのだ。
タヌキ達はひどく混乱し、
ある満月の夜、
都内近郊在住のタヌキらに集合命令をかけ、
この認識のギャップについて真剣に論じ合うことにした。
3時間にも及ぶ激論の結果、
遂に、大多数タヌキの納得が得られる結論に至った。
最終統一見解は、下記の通り。
楽曲のユニークさを面白く感じたマスコミが
人々にこれらを大々的に宣伝した。
思惑通り、これらの曲は大衆に親しみをもって受け入れられ、
いつしかタヌキは
面白可笑しいキャラクターと認識され、
広く愛されるに至った。
しかし、実際のタヌキはポンポコお腹でも何でもなく、
腹鼓(はらづつみ)も打たなければ
犬や猫のように、
人間に対して愛嬌ひとつ見せることもなかった。
追い打ちかけるように、
タヌキは気性が荒く、危険であるとの情報も流れてしまい、
とうとう人々は実際のタヌキを否定し、
自分達が作り上げた、
偶像としてのタヌキだけを
真のタヌキとして認知するようになった。
「では、我々は一体何者なのか」
ソバ屋入口脇に置かれたタヌキの信楽焼を指差し、
1匹の青年タヌキが長老に尋ねる。
「我々はチツテトだ」
「意味を教えてくれ」
「タ抜きだ」