男に女心を理解させた歌詞 / たそがれマイラブ

Title : 情緒レベル低下システム

 

 

引き裂かれ愛はかけらになって それでも胸で熱さを失くさない

 

大橋純子のたそがれマイラブの有名な一節。目に見えない女心の恋情を、男までもが女性になった心持ちで理解出来た気に浸れる歌詞。それは、

 

私はもう アナタの背にもたれかかる夢を見てる

 

という一節に凝縮される。もはや誰の目にも再生不可能に思える恋愛関係。男は去った。二度と彼女の元に戻ることはないだろうという予想。終焉に近づく刹那に、彼女は愛しい男の背にもたれかかる夢を視始めている。

何という性 (さが)。男より遥かに純度の高い愛情を有している女性ならではの感覚。理屈を超え、現状の事態を考慮に入れず、ただひたすらに心のビジョンを解き放つ。筋道、ツジツマ、論理で恋愛をする男性を悩ませかつ感動させるこの神秘性。

作詞者の故阿久悠氏は男性。職業柄、日頃膨大なエピソードを収集し、それらを関連させ繋ぎ合わせ、確信をもって選び抜いた珠玉の歌詞ゆえ、女心を十二分に咀嚼 (そしゃく) した作品に成し得たのだと言える。

当の女性陣は自身達特有のサガを歌詞に反映させることはあまりない。徹底的に表現して見せたユーミンはいわゆる天才。二度と現れそうにない。

日本は変わった。新しき時代に凄みのある歌詞が全く発表されない。小手先の歌詞、曖昧なエセ臭い歌詞はマンネリを打破出来ず、遂にヒット曲が姿を消した。後世に歌い継がれる楽曲は稀だ。

もはや楽曲歌詞の中に無限大の想像、つまり絵が視える歌詞など作る気もなければ思いつく能力もないアーティストが増殖した。映像はYouTubeでどうぞ、というわけなのか。レコード会社のハードルも極端に低くなった気がするのは私だけだろうか。

涙、泪 / 出し惜しみ反対!

TVの視聴率がガンガンに落ち込んでいる。特に20代以下若者のテレビ離れは猛烈雪崩で歯止めは効かず、これまでの条件反射か手持無沙汰か、高齢者はテレビをONにはするものの、番組内容自体には余り執着せず、従ってCMスポンサーへの貢献度も低い。

消費の鬼は今や若者女子だけ。よってTV局はそこだけ狙ったピン・ポイント攻撃に特化した女子ウケ番組作りに精を出し、男性は締め出された形となった。よって幼児性、享楽性が高く、社会問題とは甚だ遊離した番組が目白押しとなり、それが一層TV離れを加速させてゆく、というオチ。

若い女子は短絡的、今を生きるだけのお気軽思考、とは年配者の大方意見。確かにそうだが彼女達にも悩みは山積、ヤロー共の様に深刻に考え自分を追い込み、ドツボにハマッてドッピンシャン、とはいかないだけだ。

つまりは、男より女のほうが生きるのが上手い。人生の難局をヒラリヒラリかわすのが上手い。難題に対して何の対抗策も講じず、ただひたすらに必殺の逃走あるのみ!。ゆえに男よりはストレス・フリー、ゆえに男より寿命も長い。

ゆえにマネする男子も徐々に増えてきた。女性化しちゃって草食系。いいんじゃないの別に。真っ向勝負のガチばっかりやって、ストレス過多の前のめり崩落よりは。ただし、行きは良い良い帰りは恐い。その代償も覚悟せねば。

若さの最大の弱点は老いた自分を想像出来ないってこと。例え出来ても頭の想像と現実のギャップは天と地ほども違うのだ。自分で自分をを頼れない人間は脆い(もろい)。弱い、なんてナマやさしいもんじゃない。

コンニャクを全力で踏み潰す。コンニャクはダメージを受けるが形状はしっかり保たれている。これが “ 弱い ” 。

カリッカリのトーストを全力で踏み潰せば粉々。これが “ モロイ ”。つまりは再生不能。

人生訓が必殺の逃亡。女子は前向き敵前逃亡、男子は後ろ向き逃亡。ゆえに女子はストレス・フリーで購買意欲にダメージなし。ゆえに男子はストレス過多でストレス・ヘヴィー。持ち物ナーンもなしの身軽身分で超軽量。そりゃあそうだ、女を守るために作られたのが男。守られるために作られたのが女。そもそも精神構造がまるで違うんだから、マネなんかしたって結果は全くまるで完膚なきまでに、違うってもんでありんしょう。

昔の人は言いました。泣く子は育つ、と。サメザメ泣けば即時に発散ストレス・フリー、心はいつも健康に。さすが先人の知恵、違うねぇ~。そんなわけで男より泣く回数の多い女子の心は男より健康。ウツ病、自殺者の男女比率が明白に物語っている。

 

男と女のお話 (久仁京介 / 作詞、水島正和 / 作曲)

ベッドで泣いてると 涙が耳に入るよ

昔を忘れてしまうには 素敵な恋をすることさ

 

 

ひとり寝の子守唄 (加藤登紀子 / 作詞作曲)

ひとりで寝る時にはよ もみがら枕を 想い出がぬらすだろう 人恋しさに

 

 

酒と泪と男と女 (河島英五 / 作詞作曲)

おれは男 泣きとおすなんて出来ないよ 今夜も酒を煽って 眠ってしまうのさ

おれは男 泪を見せられないもの

 

泣けば官軍、泣かねば賊軍。泣かぬなら殺してしまえキリギリス、泣かぬなら泣かせてみようホトホトギスギス。泣かぬなら泣くまで待とうストレスでギスギスなんだねえ、これが!。女子の敵前逃亡を真似る進化形男子も、やはり泣きに泣くのはチョイト無理だろう。男だから、も多少はあるものの、泣けば傷つく自分を助長する、傷ついてしまった証も同然、怖くて泣けぬ、が理由ではなかろうか。或いは、心が石の巌となり、もはや情緒は蒸発したか。

 

 

さらば涙と言おう (阿久悠 / 作詞、鈴木邦彦 / 作曲)

頬をぬらす涙は 誰にもみせない こらえきれぬ時には 小雨に流そう

さみしさも悲しさも 幾たびか出会うだろう

だけどそんな時でも さらば涙と言おう

 

高度成長スーパー加速のさ中、社会が少年達に用意した模範教科書は、巨人の星や明日のジョー。そんなスポコン漫画全盛時代にあって、涙をこぼしちゃいけないは至極納得、公害問題、心の病などフッ飛ばす勢いの価値観だった。社会的な魂のスローガンは根性で、忌み嫌うべき言葉は性悪。今と真逆とは価値観は反転するものなのかなと…。ほどなくそんな現状に疑問を感じ、方向性を押し戻そうとする真逆の抵抗勢力も生まれ始める。そうだ、それこそが民主主義の天秤計りというものだ。河島英五いわく、

 

てんびんばかりは 重たい方に 傾くに決まっているじゃないかい

どちらも もう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんて おかしいよ

てんびんばかり (河島英五 / 作詞作曲)

 

 

 

◆帰らざる日々のために (山川啓介 / 作詞、いずみたく / 作曲)

愛する人がいるなら 求めるものがあるなら

何にも怖くはないさ そいつが青春

涙は心の汗だ たっぷり流してみようよ 二度と戻らない 今日のために

 

二度とらないのという字にサンズイを付けるとなんだねぇ、これが!。

 

 

今の20代以下の男子には静止のイメージがある。ボクの私見で恐縮だが、静止という漢字を分解すると、青い争いを止める、とまァ、こうなるわけなんだ!。青春のもつれ合い、もがき合い、学びが出来る健全なケンカ、そんな行為が今の若者には希薄だ。止まっている。止まってしまっている。何が。成長が。気持ちが外に出る前に、喉元か何処かで止まってしまっている。寸止めより遥か遠くで。すなわち静か

傷つくのを異様に恐れるイマドキの若者達。恐れて行動さえ出来ないのなら、せめて涙だけはガンガン流して欲しいと思う。何もかも忘れて水に流しましょう。と涙の意味は全く違う。涙は脳がストレスを体外に放出するための手段。つまりは膿を出すのと同じ。そう考えれば誰だって溜め込んでいるのはキモいハズ。

涙がこぼれないように上を向いて歩く。つまりは泣いている。しかしながら若者は皆、うつむいて歩いている。つまりは泣く気がないのか。独りの部屋ではうつむいていないのか。うつむき癖がついていなければいいが。

 

大きな玉ねぎの下で (サンプラザ中野 / 作詞、嶋田陽一 / 作曲)

アンコールの拍手の中 飛び出した 僕は一人 涙を浮かべて

千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば 澄んだ空に 光る玉ねぎ

 

 

だがだがしかし、近年は少し怪しくなってきてはいないか、女子の涙。泣くのがサガの女子さえも、涙を合図にともすれば自身が崩落するやもしれぬ感覚に、ついぞ涙を怖れて “ お笑い一辺倒病 ” にどっぷり浸っている昨今ではあるまいか。この推測が当たっているならば、もともと箸が転んでも可笑しい年頃ゆえのお笑い渇望、それゆえTV番組はソレ一色、と成りにけりではあるまいか。だとすればお笑いに乗らない男子のTV離れは自明の理。

 

 

若者は単独でお茶することが多い。

お茶は英語でTEAお茶する人TEAR(英語ではありませんので念の為)。TEARは英語で。ゆえにお茶する人なら涙の人。これこそが真の泣ける話。Xjapanのトシだって歌ってるじゃないの。

 

という字のは、大きな戸と書く。

これすなわち泣いて泣いて泣くだけ泣いて、やがて大きくなって帰って来いよ、の意味だと思うんだけど。

ダメ?。

 

 

 

◆写真タイトル / tears

 

 

 

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森永ホットケーキCMソングの罠

 

 

 

思うに私ほど森永ホットケーキの回し者はいないだろう。

物心ついてすぐ、私は森永ホットケーキを食した。釈迦が誕生と同時に数歩歩き、天上天下唯我独尊と口走ったのと大差ない。

森永は用意周到にホットケーキの作り方が歌詞のCMソングを巧妙に流し続け、世間慣れしていない純粋無垢な児童達を次々と狙い撃ちしていった。

このように分別備えた立派な大人に成長した今でさえ、私は真夜中、ひとり密かに森永のホットケーキを焼く。

 

♪ フライパン フライパン 温ったまったら

濡れた布巾で チョイと冷やす

焼けた 焼けた 美味しいホットケーキ

耳たぶ位の柔らかさ

 

幼児体験とは恐ろしいものだ。未だにこの歌が耳をついて離れない。

友人が彼女と別れ 、♪ With out you が耳から離れないと言っているのを聴いた時、自分にとってのそれが森永ホットケーキミックスの素であるという事実は私をどんなに歯ぎしりさせたことか。

森永の功罪は未だ断罪されることもなく、それどころか永遠のベストセラーを誇っていると聞く。

妻をめとらば / 哀愁のメトラレーゼ

かつて恋愛とは、結婚とは、娶り(めとり)だった。メトリが正体だった。妻をめとる。男が女をめとる。残念ながら、女が男をメトルとは言い難い。なんせ男尊女卑の時代であった。“ 娶る ” は取る女、と書く。女を取る、とはイササカどころか野蛮の極み、されど言い得て妙は男の性(さが)というものか。

 

男と女の間には 深くて暗い 河がある。

誰も渡れぬ 河なれど エンヤコラ、今夜も舟を出す

 

黒の舟唄 (能吉利人 / 作詞、桜井順 / 作曲)

 

昭和当時、マイナー扱いだったこの唄、その後の息の長さは当然といえば当然。男と女の難解さ(むずかしさ)を言い当てている。フォークでも演歌でも歌謡曲でもない、既成ジャンルに収まりきらぬ、ただただ凄みある唄。誰も渡れぬ川?。恋人、夫婦、渡れてるでしょ?。そうなんだよねえ、渡れてる人沢山いるもんねえ…。じゃ何で歌い継がれてるわけ?。ウ~ン、そこが問題だ。

 

 

「連れて逃げてよ…」「 ついておいでよ…」 夕暮れの雨が降る 矢切の渡し

 

矢切の渡し (石本美由紀 / 作詞、船村徹 / 作曲)

 

渡る、というのはサンズイに “ 度 ”。つまりは1度きりじゃないんだね~、これが。度々渡る。度々行き来する。

長い人生、男と女、日々の暮らしは異性と異性。最初は仲良く2人乗り。

段々お互いの気持ちが離れてゆく。遠くに感じるようになる。互いの気持ちを取り戻すには相当な力が要る。エンヤコラ、腕(かいな)にモノ言わせなければならない。それはやっぱり男の業でしょう。娶る(めとる)を “ 取る女 ” なんて書くのだからネ~。

駆け落ちする二人を描写した矢切の渡し。こちらは櫓がむせんでいる。息を殺して身を寄せながら、とあるのでエンヤコラなどとはいかない。やはりコレも娶り(めとり)の極致。女を誰から取り上げたのだろう…。いずれにしても、男が取った男頼りの渡し舟。

 

 

同じ夢を追いかけ 同じ風に吹かれた だけど互いに違う事 考えていた

何にもしてやれなかった だけど貴方となら 死んでもいいと思った

 

傷心 (大友裕子 / 作詞作曲)

 

死んでもいいと本気で思える程の相手でさえ、いつの間にか相手の事が分からなくなってしまう。何を考え何を望み、何に満たされ今この時、幸せの在りかは何処なのか。主人公は後ろ姿が段々小さくなってゆく相手を、ただこうして見送るだけの結末。取るからには終わりは捨てる?。愛の破たんは取捨選択?。自分は捨てられたのだと女自身が思えば、それは娶り(めとり)の関係だと、女自身も捉えていたことになる。“ 娶る ” の概念は使い捨て時代の象徴だったのだろうか。

分からなくなってゆく。娶る(めとる)という意味。女を取る。とか言っても今や死語。待て待て、死語になったからといって “ 女を取る ” の考えが消滅したわけではない未だ昨今。搾取の時代と言うではないか。取得の時代だと聞くではないか。アア、哀愁のメトラレーゼ!。取るのがお得というのなら、メトリは男にお得?、女にお得?。

 

 

恋と愛とは 違うものだよと いつか言われた そんな気もするわ

 

真夜中のドア (三浦徳子/ 作詞、林哲司 / 作曲)

 

男特有の思考で恋と愛とは違うと結論付けた彼、説き伏せられる彼女。頭では理解しつつも、強く湧き上がる感情が理屈をいともたやすく組み伏せる。真夜中のドアを叩き帰らないでと泣く。人間を産む生き物と産まない生き物との純然たる違い。両者の間には深くて暗い河がある。

 

 

遠くひびく波の音 窓を叩く潮風

これきりと言いかけた くちびるがくちびるに ふさがれる北ホテル

北ホテル (夢野めぐる / 作詞、猪又公章 / 作曲)

 

いつまでもこのままでいいはずがない、と言う女。人の眼をさけながら、というからには許されぬ愛。劇的で臨場感の極致とも言えるこの一節、日本歌謡界史上最高の愛行為描写である。

背景は未曽有に湧く経済大国驀進中のエネルギッシュな日本。その情熱は良くも悪くも娶り(めとり)。裏返せば、女達は企業戦士達の中に男らしさを見出し、男達もそれを真に受けた時代だったと言える。キス、くちづけ、などの言葉が織り込まれた楽曲歌詞は多い。だが、この北ホテルに見られる様な力強く直接的な言い回しは他にない。時代の勢いが、日本人の勢いが、そのままダイレクトに歌詞にぶつけられた金字塔である。

だがしかし、経済大国まっしぐら時代、企業戦士の存在にNO!を突きつける事の出来る人はこの国には居なかった。“ 24時間戦えますか? ” なる仰天CMコピーに人々は湧き、それを時代にピッタリのフィーリングだと信じて疑わなかった。過労死が深刻な社会問題となっている現在からすれば、全く有り得ないコピー。かくも時代の価値観とは違うものかと改めて煮え湯を飲まされる思いだ。

イケイケドンドンの時代、経済力をつけた女性達は我が世の春を謳歌し、封建的要素の強いメトリを全否定した。取る女は取られる女、取るに足らぬとは誰かの噂?。ご冗談でしょ、と女性群。

 

 

ジョニーが来たなら伝えてよ わたしは大丈夫 もとの踊り子で また稼げるわ

根っから陽気に出来てるの 友達ならそこのところ うまく伝えて

ジョニーへの伝言 (阿久悠 / 作詞、作曲 / 都倉俊一)

 

自立した主人公はジョニーを待たなかった。彼女の未来の全ては “ 男 ” だけではなく、自身の夢を託せるものは他にも在った。それも幾つも。待たない女、それが企業戦士の時代だった。

 

 

私 待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが 振りむいてくれなくても

待つわ いつまでも待つわ ほかの誰かにあなたが ふられる日まで

待つわ(岡村孝子 / 作詞作曲)

 

いつまでも待てる余裕が女性にはあった。安定した経済力、友人達とのグルメな食べ歩き、温泉旅行に海外旅行。三高が不文律なら妥協は許さじ。時が全てを変えてしまう、そんな “ 時 ” の恐ろしさについて考える人間、この時代にはおよそ似つかわしくなかったし、現にそんなことを考える人は居なかった。約束された退職金、約束された株配当金、個人レベルでの金余り、財テクは大流行り。待てる女性の時代、それもまた企業戦士の時代だった。

名曲ジョニーへの伝言待つわ。いずれもカラオケでは余り歌われない昨今。あれほどの超ビッグ・ヒットでも時代の価値観には到底勝てない。娶る(めとる)どころか今や “ 芽取られる ”。お約束は次々上書き。待てない年金支給、待てない要介護認定、待てないベッド待ちに保育所待ち。待てないのに待たされる。

メトリ、ミトリ、ソウドリ、イイトコドリ。企業戦士から草食系へのこの落差。公家の天下から武家天下統一、明治維新から文明開化、戦争から復興、焼け跡から経済大国、バブルから低成長。忙し好きの日本人らしいこの歩み。普段マジメな分だけ、振り子が振り切れる時は半端ないのが我が日本。

 

もういやと 拒む手も いつかしら熱い胸

抱きしめる 北ホテル

 

 

 

◆写真タイトル / 時をかける症状

 

 

 

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日本に三波春夫あり / 長編歌謡浪曲の凄み

Title : ピザ欲しい現場

 

 

ロックファンならずとも、ひとたび聴いたなら余りの凄さに脱帽せざるを得ないロックオペラとも言うべきQUEENの名曲、

『ボヘミアン・ラプソディー』

神と悪魔のどちらの立ち位置に在るべきかで揺れ動く青年のエピソードを綴ったこの歌は、QUEENの地位を不動のものとし、そのずば抜けた才能を世界中に広く知らしめた。本国イギリスよりずっと早くQUEENを高く評価してのけた当時の日本人リスナー達は偉い!。

三波春夫の作詞作曲による『俵星玄蕃』(たわらぼしげんば) を始めて聴いた時にはブッ飛んだ。ボヘミアン・ラプソディーに勝るとも劣らないその壮絶さ。仇討ちか否か。やはり上(かみ)と悪魔のはざまで揺れ動く関係各位。

毎年大晦日恒例の忠臣蔵に併せて取り上げられることも多いので、聞き覚えのある諸兄も少なくないと思われるが、いかんせん9分弱と長い。よってTVでその一部始終を見聞視聴する機会は滅多にない。

この曲は全てを聴かなければ全く意味がない。聴き終えたならその意味がよぉ~くご理解いただけると確信する。浪曲など全く関心のないボクではあるが、これは楽曲のジャンルさえフッ飛ばしてしまっているほど凄い。日本人のDNAが騒ぎ、血沸き肉躍る。

 

ライバルである村田英雄の『王将』を聴いて発奮、三波春夫はこれを一気に書き上げたと言う。

お見事ッ!。ニッポンいちッ!。