許容量ありやなしや / ピーナッツバター美味しい

Title : 湾岸都市〈BAY AREA〉

 

 

東京湾の埋め立て開発、巨大都市をば造り上げたけど、東京湾にはこれ以上埋め立てるスペースがモーないんだってネ。

PCも外付けHDないとすぐ許容量満杯だもんネ。で、先日ソレが起動しなくなっちゃってあわてて買い替えたんだけど再び起動せず。こッ、これは5つ又ソケットが原因では!と疑ってる最中なのネ。

当然、破損はソン。ボクの頭ン中もせっせと知識詰め込まないとソンですけどネ…許容残量99%かも…。

そして夜食タイム!。食パンにピーナッツバター塗りながら瓶のラベルをナニゲに見たら、まッ、まさかの

ソントン !! (爆)

昔懐かしき、ダルマさんがコロンだ

Title : ダルマバブ

 

 

昔、子供の頃。皆さんも “ ダルマさんがコロンだ ” という遊びをした経験がおありではないだろうか。

ダルマ役の者の首筋あたりに母親から拝借してきたコロンを吹きかけ逃げる。眼にコロンが入り何も見えなくなったダルマの肩を叩いて勝利宣言をする…。昔はそういう素朴な遊びが沢山あった。

つい最近までは “ ダルマさんがハンバーガーを守る” が主流の遊びだった。ダルマロボットにハンバーガーを守らせ、子供達がダルマに道を尋ねている間に、他の子供がハンバーガーをひとくちカジッて逃げるというもの。ワザと答えにくい道の聞き方をして時間を稼ぎ、ハンバーガーを完食出来るかを競う遊びだが、こんなものは素朴でもなんでもなく、イタズラに時を浪費し、人生の大半を棒にふりかねない、という懸念から子供達の間で批判が高まり、遂に2017年事態は収拾、今現在は完全に廃止状態にある。

 

一応、大ウソです。

春の置き土産 / ツクシ誰の子

Title : ツクシてちょーだい (円内がスギナ)

 

 

花見宴会に興じる人々から一転、多摩川の土手でやや肌寒い夕刻風に髪をなびかせながらモクモクとツクシを取り続けるオバアチャマに驚き、助っ人として援護射撃。ツクシの時期も終盤とか、残り僅かとなり大半はスギナに成長してしまったとの事。

ツクシがスギナに変わることを知らない人は多い。昔の “ ツクシ誰の子スギナの子 ” はもはや死語。オヒタシにして食べるのだそうで、やや苦みある味覚はお母さんを思い出すという。

ボクが見つけた数十本。へなちょこ助っ人はそれを進呈しフラフーラと退散するのであった。

 

♪   アア ボクの時計はあの時のまま

風に吹き上げられたホコリの中

二人の声も 消えてしまった

あれは 春だったね

 

■ 吉田拓郎 / 春だったね

パラリンピックからの伝言

Title : アスリート

 

 

平昌パラリンピックは終わった。ボク個人、これまで同様に選手達から勇気など貰えなかった。

彼ら彼女達が日々体験する壮絶な闘い。挫折と束の間の安堵。その自問自答の日々など、ボクの想像力で理解出来ようはずもない。

自分の泣き言に背を向ける自分。自身の中にうずくまる敗者の叫びに耳をふさぎ、底なしの絶望に取り込まれまいとする孤独な闘い。

襲い来る闇とその恐怖と揉み合いながら、いつしか冷静に目を馴らし障害物に首輪をつけ、束の間おとなしくさせる術 (すべ)を身に付け、涙の跡を人にさとられることもなく、ようやく辿り着いたその場所。

 

歓声の無い震撼としたスタート地点に立つその人を見る。ボクに何が分かると言うのか。通り一遍の薄っぺらな想像を捨て彼ら彼女の成果の行方に身を乗り出すだけ。

 

勇気をもらえる領域に等、ボクは全く達していない。ただひとつ、あの人達に貰えた気がした言葉なら、あった。それは勇気などという次元のものではない。唇噛みしめ思い出しただけだ。

 

まだやれるんじゃないか。

隠された秘話とは

Title : サングラマウス

 

 

10年ひと昔って言いますよねぇ…。ひと昔前から、ホント日本人て以前より何だかんだと隠しまくりになったじゃござんせんか?。

昭和初期、サラリーマン諸氏は一様にソフトなる帽子を被ってましたそうな。アメリカの影響だと思いますけど。頭隠して尻隠さずのダチョウ時代でしたか!。お休みの日はマジでハンチング帽にパイプなんてスタイルがおッシャレーッ ! だったとか。

バブリーな頃は発作的にテンガロンハットが若者の間でハヤリましたっけねェ。かなり似合ってるヒトはクゥワッコ良かったのではないですかい?、キムタクとか…。

昔はシャイな人ってサングラスしてたりじゃないですかい?。超有名どころで井上陽水さんにタモリさん、元ラッツの鈴木さん。ですわよねぇぇぇ…。

ルーズソックスが女子高生にハヤリましたが、一説には足首が引き締まってないのを隠すためだと小耳に挟んでみたりもしましたが真意は不明っス。

そんでもって、皆様薄々出るぞ出るぞと待ち構えていた例題に突入してしまうのです。それはやっぱり最近の白マスク、これぞ例題の決定版!、ですよねー。ですわよねぇぇ…。

自信がないので人に顔を見られるのが怖かったんですけど、マスクをして外出するようになったら心が落ち着いて手放せなくなりましたね、とTVで若い女性がインタヴューで語っておりました。

色々な理由があるのでしょうねぇ~。この季節は爆発的に花粉症対策ですしねぇ~。

とにもかくにも隠すは常道。プライバシー保護とっても大事です。スマホの画面も、パスワードも、タンス預金も、今の時代背景が隠す行為を呼びに呼んじゃってるンすよねぇ~。遥かなる山の呼び声と申しましょうか、明るく朗らかにコダマする、といった様な…。

しかし、明るくはありませんでしたか。隠す時はやや緊張が顔に走りません?。走りますよね?。時は流れ、隠すは自己防衛となりにけり、なは~んちゃって。でもマッコト真実。成りすましも隠れるが必須。ソーシャルリンクもそうだっぺ。で、福袋はどーよ。と言われても…。トランプの神経衰弱、カード隠してるって言います?。まさか。

いずれにせよ自身やその分身のパーツを何かで覆えない場合、ボクらは皆モザイカー、自分でモザイクかけるしかないのでしょうねぇぇぇ…。

しかし、隠居の身って言うじゃないですかー。でもよくよく字を見ると隠れて居るって書くじゃないですか!。こッ、これって人聞きの悪いッ!。別に逃げ隠れしてるわけじゃないでしょッ!。でも夜逃げした人の落ち着き先、隠居って言います?。そッ、その人が20歳だったら?。うッ、ウケる…。

 

ですよねぇ…。ですわよねぇぇ…。

虚ろ、空ろで移ろう時

Title : オレってフレームのみなヒト?

 

 

虚ろ。うつろ、と読む。廃虚 (はいきょ) の虚で意味を想像してみる。

虚ろな眼差し。廃虚の眼差し?。虚ろな心、廃虚な心?。

う~ん、深い…。

空ろ。うつろ、と読む。虚ろ、の文字変えなので、この空と言う字は空気や青空ではなくて、やっぱり空虚 (くうきょ) の空かな?。

空ろな眼差し。空虚な眼差し?。虚ろなあの人。空虚なあの人?。

 

写ろう、がブーム。話題。自撮り大流行り。しかも第三者に見せたくって仕方ない。何故、どうして急に皆さん揃ってナルシズム?。

回答。自身の存在が虚ろ、空ろ、だと無意識に感じるので、自身の姿を撮影して存在を確認する。人にも存在を確認してもらって自身の存在証明の証人になってもらいたい。から?。

移ろ。お茶してる。いつもの席が人に取られちゃって。落ち着かない。アッ!、空いたッ!。即刻移動!。で移ろ。だって皆そうしてるんだもん。

 

虚ろ、空ろ、写ろ、移ろ、を今、全ての方に。

普通

Title : Pマン

 

 

圧倒的な単一民族国家である我が国、日本。故に、良くも悪くも戦後より今日に至るまで足並みを揃えて来た。常識と言う名の共通価値観を携えて(たずさえて)だ。多国籍民族国家の人々の日常に “ 普通は〇〇 ”といった言い回しが使われることは稀だ。

皆一緒、がお約束だから、要するにアナタもワタシも同じ価値観ヨ、ツーカーなんだから細かいことコミュニケーションで理解し合わなくても大丈夫でしょ?という甘えが甘えを呼び、遂には傑出したリーダー不在の空中分解社会が完成した。

最近は野菜が高騰。シシトウより安いピーマンにしようと手にして思い出した。

昔、「頭がピーマン」という言葉が流行した。中身がカラッポという意味で登場、たちまちウケた。

ボクは異議を唱えた。ピーマンの中には種子が詰まっている。明日への、未来への存続の鍵が、と。

すると、梅干しの種ならデカいから問題かもだけどピーマンのは大したことないから無いのとほぼほぼ同じだという答えが返ってくる。それはマシな方で、大抵は何言ってんだろこの人、皆が楽しんでるのにクッダラないイチャモンつけちゃって、が大半の反応。

 

景色は誰にでも同じに見える。そう思い込んでいる人は多い。

花見、花見ず、鼻水

Title : 満開大回転

 

 

「暖冬のせいで桜が開花しているとTVで言ってたぜ。チャリで流して花見しようじゃないの」と友人。

「んなわけないだろう。今日、近所で梅が満開花盛りなのを見た。この地区はまだまだだ」とボク。

聞き分けの無い友人と毎年桜を鑑賞するポイントに自転車で向かう。途中、コンビニで彼は焼き芋を1本購入。桜を愛でながら食べる計画だと言う。ボクは様々な事態に対応可能なみたらし団子、しかも1本増量で4本となったものを購入。飲み物はポイント傍の自販機で。

湾岸部にある公園。行く途中、花見目当てであろうと思われる人々、自転車、マイカー族を一切見かけることもなくポイント到着。

沿岸部、海まで約5㎞、背丈の高い建物もなく、冷たさ身に染みる海風がダイレクトなポイントベンチに腰掛け眼前の桜集団に目を凝らす。

つぼみにやっとなっているものを寡黙に探す作業が静寂の公園一角で辛抱強く続く。

「あった!。つぼみがあった!あそこだ見ろ、ここの正面の木から左3本目の足元から2メートール上の…」

やはりな…。これは花見ではなくバードウォッチングならぬツボミウォッチングに他ならない。報道を何としてでも真実へと転化させたい彼の涙ぐましい努力には脱帽だ。

「そうだ…。芋を…」

焼き芋もみたらしも唇に触れると冷たい。周囲には誰もおらず、犬猫の姿もなし。こんな肌寒さ、犬なら何で此処へ連れて来たのだと飼い主に牙も剥けようが、ボクは人間。それもままならず。

「鼻水が垂れてるぞ」「そう?」拭きもしない彼の悲哀に満ちた横顔が哀れみを誘う。

 

日本は情報化社会ではない。少なくとも詳細情報ではなく誤解を生みやすい見出し情報が幅を利かせる。

どこかで桜が咲けば、あたかもそこここで咲いている印象を与える報道。口数少なく、本人が足を運んでのリポートでもない。他人の指示で言うだけなので情報内容に理解も興味もなし。

同じ東京でも地区によって桜の開花はバラバラ。そんなの関係ない。何故か全体が皆そうだ的な報道がスタイル。特徴。TV報道を真に受けて花見に出かけた人も結構いたと後日聞く。流石に沿岸部、湾岸部には居ないが。

嘘だと断言出来ない範囲であれば、誤解を招く見出し報道もアリ。それで少しでも人が動き需要へとたどり着く可能性があるならソッチの手法が良い良いというわけか。まあね。そうかもね。花見待ちわびウズウズしている視聴者多数。アオレ、アオレで盛り上げましょう。

雨と雪の違い

Title : お母さん、雨だよ

 

 

誰もが雨に濡れることを嫌う。氷雨ではなく温かな雨であっても。マシかどうかの違いだけ、でもやっぱり濡れたくない。

これが雪だとそうでもない。凄まじき積雪となる降り方なら別だが。

同じ水でも状態の違いで判断は変わる。外に出てゆくか、待つか。

ヤッカイごとに囲まれた。さあどうしよう。出ていくか、待つか。だが、待ってやり過ごす時間がない。

そのヤッカイごと、例えるなら雨か雪か。違いは大きく濡れるか濡れないか。

天から降る雨、雪は人的操作の及ばない世界。ヤッカイごとは人的操作の世界。雨を雪に変える知恵の問題ということになる。

雪に変えても問題は残る。積雪にならぬようにする。歩行に問題なしの範囲に留める。これは難題、確かにヤッカイ。

雨と雪の差は気温の高低。ならば金か有価証券のどちらで投資か、相続するか寄付するか、などなど…。

 

イジメ。これを雪だと世間は言う。雨に変わるのは被害者が自殺した時だと。

違う。最初からイジメというものはなく、強い攻撃である。本当の意味でのイジメという行為には、そもそも昔から殺意はない。

凄まじい積雪は命を奪う場合が多々生じる。ゆえに雪国の人々は細心の注意を払って冬をやり過ごす。デタラメに暮らして生き延びている訳ではない。

イジメという耳障りの良い言葉の裏に存在する殺意、それに対し幼き子らに雪国の知恵を自身でつけろというのか。

大抵の子は雨の中を出かけてゆく。命を守ろうとして土砂降りの中に。

ずぶ濡れで家路につく子。途中で雪に変わり、足を止め立ち尽くす子。

雨、雪、どちらでも同じ。その子には同じ。だって、ヤッカイごとなどという生易しいものではないのだから。

これは。このことは。

 

エプロンとセーラー服

Title : どッ、どげんしたらよかとねッ !!

 

 

消えて行った “ 象徴 ” というものがある。お母さん、といえばエプロン、娘といえばセーラー服。僅かに残り大半は消滅。日本人は外見によるイメージに激しく左右される傾向を持つ民族なので、時代の流れとはいえ、一度根付いた強烈なインパクトを持つ象徴が消滅するのは、かなりの不都合が生じる。

それらの象徴が実際の対象物をより一層魅力的にする、という事実。それが喪失すれば男性女性双方、その空いた魅力を埋める努力をしなければならない。

が、成功した者は少なく、象徴の消滅と共に誰もが等身大の評価を受け、依然に比べ、結果はかんばしくないと言える。

話は違うが制服無しの私服学校、これは賛否両論だが、言えてることは唯一つ。制服による想い出なし。

かつて日本人の象徴のひとつだった一重まぶた。ご存知の通り、こちらは大成功した。新しき象徴、二重瞼。もちろん象徴するものはK・A・W・A・I・I。