エプロンとセーラー服

Title : どッ、どげんしたらよかとねッ !!

 

 

消えて行った “ 象徴 ” というものがある。お母さん、といえばエプロン、娘といえばセーラー服。僅かに残り大半は消滅。日本人は外見によるイメージに激しく左右される傾向を持つ民族なので、時代の流れとはいえ、一度根付いた強烈なインパクトを持つ象徴が消滅するのは、かなりの不都合が生じる。

それらの象徴が実際の対象物をより一層魅力的にする、という事実。それが喪失すれば男性女性双方、その空いた魅力を埋める努力をしなければならない。

が、成功した者は少なく、象徴の消滅と共に誰もが等身大の評価を受け、依然に比べ、結果はかんばしくないと言える。

話は違うが制服無しの私服学校、これは賛否両論だが、言えてることは唯一つ。制服による想い出なし。

かつて日本人の象徴のひとつだった一重まぶた。ご存知の通り、こちらは大成功した。新しき象徴、二重瞼。もちろん象徴するものはK・A・W・A・I・I。

花粉症の季節開幕 / マルタは婚姻色遡上

Title : 杉花粉拡大写真〈約50万倍に拡大して表示〉

 

 

またぞろ両目の目頭 (めがしら) が異様に痒くなってまいりました。そう、皆さんご存知の花粉症の季節、憂鬱なる季節の到来なのでございます。通院しなければ生活に著しき支障をきたしてしまわれる方、市販の薬で間に合う方、薬なしで何とかやり過ごせる方、症状の個人差で随分と対処法が違うのですね?。

私の場合はかけばかくほど痒みが増す、という生き地獄なのでございますが、鼻水が止まらない方などに比べれば天国に等しいと友人にたしなめられてしまいました。言えてるかもしれません…。

昔は存在しなかった不都合症状、増えておりますね?。しかも一過性ではなく定着してしまうところが頭痛の種でもありましょう?。オゾン層の破壊でおちおち夏場の日焼けも危険となり楽しめなくなってしまいましたお方、いらっしゃいません?。地球温暖化などは、もうお手上げ、ワタクシ達が対策どうのこうのと言えもしない手の届かない問題なのでございましょう?。

夏場になると、田舎のあぜ道に生きたカブトムシを買える自販機が登場しました。お子様達は昆虫採集には関心がなく、ただカッコイイ出で立ちのカブトムシだけが欲しかったのでございましょ?。ひと昔前のお話…。今はそれを欲しがる子らもおりませんね?。

しかし、そんなことを考えておりましても仕方がございません。ただ自分の暮らしを黙々と続けるのみなのでございます。

 

というわけで来月四月、海より産卵遡上してくるマルタを狙った釣りに初めて挑戦しようと策を練っておる次第でございます。背中が銀、脇上段が黒、下段が真紅、腹が真っ白の4色マルタ。

形状が丸太のようなのでマルタと命名との事でございますが、私にはサッパリ丸太の様には見えないのでございます。むしろスマートで、どことなく、こう……。

とにかく多摩川河口域で待ち伏せしようと企んでおり怪しげな目で仕掛け図に視線を這わせております。狙いは60センチ。食べても余り美味しいものではないそうでございますね?。

ああ……そうなんですね?、と気落ちしたりも致しますが、とにかく挑戦してみたいと思っております。

多摩川河口域は漁業権が発生せず、釣りは無料。映画で昔『マルタの鷹』というのがございましたでしょう?。私のは『マルタはタダ』。無料で釣れるのでございます。

 

 

暴力描写の是非 / メッセージは何だったのか

Title : んん~ッ?。箱の中には何があったんだぁ~?、ホエッ、ホェェ~

 

どうしようもなく暴力的なやドラマや映画が満載のアメリカ。ボクはアメリカのクリエイターを尊敬する。何故、彼が彼女が幼児虐待に至ったのか、どうして彼や彼女がギャングになったのか、一人一人の過去、幼児体験、環境、ありとあらゆる人格や行動創成に至るプロセスを視聴者に紐解いて見せる。

だから悲惨な暴力作品を真剣に鑑賞出来る。花も実もあるからだ。人間を、人間の人生を、生きてゆくという困難さを、打開策に糸口を、選択肢を示唆してくれる。

要するに、存在に足る作品なのだ。作り手達の確かな使命感も心地よい。

日本の暴力的ドラマや作品にはそれがない。欠如している。何故なら人間として捉えられておらず、登場人物を単なる1キャラとしか見なしていない。人間に関心がない。実存の探求に関心がない。視聴者のよりよい手助けとなるようしのぎを削るという使命感も祈りもない。

全てとは言わない。だが、子供騙しの安直な作品が目に付く。先進国で中年の孤独者がトップの日本。どんな作品にも真摯な受け皿がない。手引きがない。正義の味方か悪人か、役割分担は単純明快でゲームとさして変わらない。それが日本のオリジナリティーだというなら時代にそぐわない。危険な影響を与えるだけ。

お前は日本ばかり攻撃すると言われるのは心外極まりない。自国を愛していなければ嫌われ者など買ってでない。

学ばないのは何故か。面倒臭いからだ。ただ、それだけだ。

仏様は見ておられます

Title : モニュメント下の神秘

 

 

ううううううぅう~ん ?! とか唸っちゃったりするのです。時々、唐突にですけども…。まぁ、ボクにはありがち。昨日はコレで、ひと唸り。

よく亡くなられた方を、仏様になったのだと言うのです。でも亡くなられた偉人像を仏像とは呼ばない日本人。どして…。日本人のその感覚に秘められた真実とは。なぁ~んて呟いてみたりもするのであります。

アレッ、そもそも仏様ってどういうものでしたでしょう、か?。出雲大社に集まるのは八百万の神 (やおよろずのかみ)。神様…。神様と仏様は違う存在でしたよね?。お客様は神様、とよく聞きますけど、その逆はねぇ……。

仏、で連想するのが仏陀 (ブッダ )、大仏様…。だとすれば亡くなられた仏教徒の方を仏様になられた、というのでしょうかねぇ…。それならツジツマは合いますけれども…。でもでも、日本人のキリスト教徒の方が亡くなられた場合、彼はイエス様になりました、彼女は今頃、天国でマリア様になられている事でしょう、なぁんて言わないと思うのであります。

アメリカでも絶対に有り得ないでしょう。どうして日本では亡くなられた方を仏様になると考えるのでしょう。仏様同様、来世に生まれ変わるのだという考えのもとになんでしょうか。

でもでも、キリストは復活しますが、信徒はイエス様同様に来世に生まれ変わらないので、亡くなられてイエス様、マリア様になったのだと言わないのでしょうか。

宗教思想はとってもむずかしいものだと思います。それを知ろうとすると信者になる事が要求されたりします。なる気はないものですから、曖昧知識のまま引き下がるわけなのです。

神社参拝、参拝客は自分が誰に対して拝んでいるのか、皆さん承知しているのでしょうかぁぁぁ…。白状しますと、ボク、自分で拝んでて良く分かりません。

 

ええと…。

 

言わぬが花よ、で自分探し

Title : 青い墨のバヤイ、嫌いっちゅうことなんだなコレが

 

 

実際、現実に、自分がかかわる人達を指し、知人友人にAは好きBは嫌い、と話すのは分かる。何らかの迷惑を被っている、癇に障る、虫が好かない。で、結論は出来ることならBなんぞは別の何処かへ行って欲しい。

世界中どこにでもある普通の感情。

現実ではなく、非現実で、視聴するドラマや映画、CDの歌手や役者、はたまたタレントに対してAは好きBは嫌い、と話すのも分かる。観ていて聞いていて不愉快。目障り。人気落ちればいいのに。

世界中どこにでもある普通の感情。

何故いちいち第三者に自分はBだのCが嫌いだと伝えなければならないのか。黙っていてもいいではないか。

とはいかない。黙っていられない。何故なら強い感情で抑えるのには一苦労を必要とするから。言わぬは身体に毒。

しかし、ミュージシャンや俳優、自分と実際に会ったり話したりすることのない相手。なのに、実際係わる人と同等の嫌悪感を示す。直接被害を被るわけでもないのに。何故。

私は何が好きで何が嫌い、な人間だ。

人間は生まれつき自分がどういう人間なのか第三者に理解してもらいたいという強い欲望を持っている。自己主張ともいう。一番シンプルで、初歩的な自己主張宣言なのだ、好き嫌い発言は。だから幼児にもそれは出来る。

相手が人とは限らない。浜辺に行けば、ここは風が強くて嫌い、あっちは風よけがあって好き、という具合。ただし、これは人としての性格性質、主義主張とは関係のない単なる生物反応。

要するに何処へ行こうとも、独りで部屋にこもりフトンひっかぶって目を閉じても、何が好き何が嫌い、からは絶対に逃げられない。

思い出される記憶にもそれは存在している。好きだった、嫌いだった、あれやらこれやら。

生きている限り自己主張は続く。好きか嫌いかを決定。人に伝えて終わりだと自己主張は苦痛の存在でしかない。

大抵の場合、続きがある。嫌いなら考えないようにする。無視、切り捨て、で解決する。決着させる。嫌いな気持ちが追ってくる場合もあるし、自ら好き好んで監視し一層嫌いなジレンマに浸り続ける場合もある。

好きな人 (物) をどうすれば嫌いになれるか。嫌いな人をどうすれば好きになれるか。をシュミレーションしたことがあるだろうか。

試みた結果、何かしらの答えが出る。その答えこそが、自分が宣言した自己主張のベストアンサーなのだ。

柑橘類 (かんきつるい)が嫌い。すっぱさゼロになれば好きになれるかも。スイカとかメロンは酸っぱさゼロで大好物だからね。

酸っぱくない柑橘類は存在しないので、酸っぱさがなくなったミカンは最早ミカンではない別の何か。つまりはミカンを好きになるのは無理。

つまり、生まれつきの食物嗜好、それは遺伝。私という人間の自己主張というよりはDNAの情報公開。主義主張とはあまり関係ない。生まれつきの性質公開。自分が生きながら意識して作り上げてゆくのが性格。

だから、好き嫌いで性格が分かってしまう訳。

Mama,Do you remember

Title : お母さん。ボクのあの麦わら帽子、どうしたでしょうね

 

 

かつては夏の代名詞だったと聞く麦わら帽子。何処かの田舎では今尚そうなのかもしれない。

イマドキは、もし麦わら帽子が何かの機会にメディアで取り上げられることがあったとしても、きっとこんな具合の編集になるのではないのかなあと空想する。

麦わらを帽子に使用するようになった経緯とは。

麦わらのココがこんなに凄い。その秘められた効用とは。

現在、僅かに残った麦わら帽子職人の仕事場に密着。その匠とは。

 

ふう~ん。そうかあ~。ためになる有難いお話だな~。

 

夏の青空、草原に映えるその色。陽だまり、木漏れ日を映し出すその美しさ。絵日記の片隅に詩でも書きたくなるような懐かしさ。麦わら帽子には夏の日の想い出を内包し続ける魔法の力がある。まるで夏休みそのものかもしれない。

 

そんなの知るか。気取ってんな。第一、都会でかぶったらカッペ丸出しだろうが。

 

 

物知り顔の愚か者 / たてつく虫も隙隙

Title : 月見とあらば、ここまで這い上がるゼ、みたいな…。

 

 

生活環境の至るところ、日々この国の崩壊序曲を耳にする。ウンザリ極まりない。今日夕刻の崩壊序曲ラッパ奏者は、見た目30代男性。

無灯火自転車運転で警官に呼び止められ毒づいている。

「細かいことでゴチャゴチャ言うのがおかしーだろ !。決まり決まりって固すぎなんだよ、もっと柔軟になれよ、コッチは無灯火でもチャンと見えてんだ!」

何だソレ。対向車がアンタの姿を見失いアンタをひく危険性をおまわりさんは指摘してんだよ。街灯のない裏道、雨の日、運転手は自転車を見失う。この人も黒服。つまりは自分の身を案じていることになるお巡りさんに説教してんだよね、この男。

何年生?。

サイレントモードの世界 / 静寂は1日にしてならず

Title : 見慣れた生き物

 

 

今日月曜昼、ボクは友人と神田にある超有名な焼肉店にいた。注文したのは2500円のランチ。羽振りがいい?。確かに !!。それは相手でボクはオゴられる方。一番乗りはボクら2人とほぼ同時に入店した女性2名。

席が近かったので女性2名は焼肉丼とハンバーグ定食を注文したと知る。

それから10分も経たないうちに店内満席。ほどなくボクら2人の焼肉定食がテーブルに到着、例の女性の焼肉丼も到着。

ところが待て度暮らせど相手のハンバーグ定食が来ない。

それが到着する約20分もの間、2人はひと言も言葉を交わさなかった。

「先に食べて、冷めちゃうから」のひとことがない。2人は黙って座ったまま手付かずの焼肉丼だけが着々と冷めてゆく。

待ち人来たり、で食べ始める2人。焼肉丼は怒りで苦虫噛み潰した女性の口へ。美味しいどころか味も何もないという感じで機械的に口へ運んでいる風。ハンバーグ定食の女性の顔はボクには見えない。

レジでボクの本日パトロンヌが女性店員に声をかける。

「凄く美味しかったよ、ごちそうさま」「ありがとうございます(笑)」

そこへボクが質問。ハンバーグ定食だけ凄く遅いみたいだけど。

野球ボールのような高さあるハンバーグ。焼くのに時間がかかる、という返答。

 

お時間掛かりますが宜しいですか?、と注文受付時点で客に尋ねるのが基本。もしくはメニューに書く。HPに書く。がない。

誰もかれも、あってしかるべき “ ひとこと ” を言わない。

お笑いブーム時、MACなどのファーストフード店の接客マニュアルに基づいた店員さん達の明るい応対を有名お笑い芸人がコケにした。MACは笑い者になっていると知り、そのマニュアルをやめた。その後、ウケ確実のネタはMACだけに限らずあらゆる接客業へと飛び火した。

明るい声が街から次々と消えてゆき今日に至る。皆が力を合わせたおかげだ。

封建主義をご存知?

Title : 風向き任せのウサギちゃん

 

 

エディー・マーフィーといえば『48時間』と『ビバリーヒルズ・コップ』。通常の流れとして犯罪刑事ものでブレイクした場合、しばらくはその線で行き実績を築き上げるのが手堅い。当然映画会社もそう望む。本当にやりたいことは力を蓄えた後。

当時アメリカの街は犯罪のるつぼだった。エディー・マーフィーはコメディアン出身、犯罪映画は数ある他の作品に任せ自身は人に夢を与える作品を作りたかったのだろう。実際にそれを押し通したのだから映画会社との軋轢 (あつれき) も厳しいものだったであろうと推察する。

ポール・サイモンもS&G解散後のソロアルバム制作中、いつまでお遊びやってるんだ、早くS&G時代の歌を作れとレコード会社経営陣のバッシングに晒された。当然聞く耳持たず信念を貫く。でなければその後の栄光はなかった。

『ダーティ・ハリー』シリーズがブレイクしているさ中、クリント・イーストウッドはアメリカ版プレイボーイ誌のロングラン・インタヴューの中で、

「あなたの映画の悪影響で若者が犯罪に走っていると指摘する声もありますが」

の質問に彼はこう答えている。「ふざけるな」

その後の監督としての彼の栄光は語るまでもない。人間の本質に迫る研ぎ澄まされ選び抜かれた主題はダーティー・ハリーとは好対照にある。

映画『影武者』出演後、故根津甚八はアメリカの俳優養成所であるアクターズ・スタジオに招かれ俳優の卵達との質疑応答に応じた。やりとりするうち、彼ら彼女達の顔から血の気が失せ、非難の眼差しが彼に集中する。根津氏は正直に卵達と向き合い事実を語ったからだった。

日本の役者は役作りに於いて自分の裁量など全く持ち込むことなど許されない。全て監督のイメージ通りに演じるだけだ、と。勝新太郎氏が役を降板したのもその理由によるものだと。

卵の一人が厳しい口調で質問した。

「役者は監督の人形に過ぎないという事ですか」

根津氏は追い詰められた顔をこわばらせ絶句したが、誰の目から見ても彼は全身で答えていた。

 

YES

 

日本に於いては、歌手も俳優も売れるか売れないかが全て。本人達の意向ではなく業界の価値観。意に反する仕事も断れば生意気だと言われ干されるか二度と仕事がもらえない可能性が高い。もっとも最近の若者達は要領よくそれらの要望にお行儀よく呼応する。

視聴者の多くも誰もそんなことには興味も関心もない。おかしいのではないかと言う者は業界にも視聴者にも冷遇される。

代案掲示で明るい社会

Title : 何でも詰め込みゃいいてもんでもないっしょ!〈ソー星人〉

 

 

手術の可能性に賭け開いてみたらほとんどの臓器にガンが転移していた。やむなく手術を断念。

その医者に詰め寄る人いわく、一体どういう順番で臓器に転移していったのか、と。分からないし問題はそこにない、と医者は執拗に食い下がる人に同じ答えを繰り返す。

改善する可能性があれば本人承諾の元にオペを行う。

今や日本は炎上ブーム。それではどうすれば改善するのか、代案も提示せずに攻撃するのは批評ではなく批判。その批判も正しき代案を掲示出来ないのであれば価値なき悪意に等しい。

よく、世間を騒がせたと言う理由で謝罪を要求される人が居る。実りなき批判による炎上を報道する場合も、投稿者への代案を付け加えて一矢報いるあるべき道の報道を願いたい。単なる炎上?。いいや道徳を問う、社会規範を問われる、十分に世間を騒がせている惨状だ。

でなければ攻撃天下、社会混乱分子の巣窟になりかねない。民主主義の、発言の自由と基本的人権の尊重は常に波乱含みの様相を呈するが、発言の自由による発言に対し攻撃を行う場合、常にお天道様が納得出来る代案を掲示して頂きたい。私も含め、必ずそうあるべきだ。でなければ無政府主義と同じ状態ではないか。