本質なんかよりイメージの方が好きッ!

日本語でネズミ、英語でマウス。ネズミって呼び名、あんまり耳障りがいいとはいえないよねぇ~。カジる、カジられるを連想しちゃって、あんまり気持ちがいい感じはしないよねぇ~。それが証拠に日本じゃ親しみやすいネズミのキャラなんて昔っからないもんねぇ~。それどころか、ドブネズミなんて侮蔑の言葉にもなってるし、実験用のハツカネズミの功績たるや凄いけど、それでもやっぱり日本じゃペットとしての人気はかなり低いってもんだよねぇ~。

アメリカが世界に誇る2大マウスの大スターといえば、ディズニーのミッキーマウス(関連マウスを含む)とワーナー・ブロスのジエリー(関連マウスを含む)。

面白い点は、ネズミ嫌いのここ日本でさえもミッキーマウスとジェリーの人気が不動であること。本当はここにイタリア生まれのトッポ・ジージョが名前を連ねるべきなんだけど、残念ながら知名度がかなり低いんだよねぇ~。アニメーションだとか映画だとかの媒体に乗せなかったのが敗因なんだろうねぇ~。すっとぼけててボクは大好きなんだけどねぇ~。シャイでモジモジしてるとこもなかなかでしょ。

日本で両者が大人気なのは、ブッチャケ、皆さんミッキーやジェリーをネズミだと思ってないんだよねぇ~。思ってるけど思ってない。まさに本質忘れイメージに生きる、の典型。それを可能にしたのがディズニーやワーナーの魔法。もはやマジックだと断言しちゃっていいでしょ、ここまで来るとねぇ~。

そこまでとはいかないけど、テディベアにもコレ、ある程度当てはまる。熊だって可愛い顔してるけど、恐ろしい生き物だったりするわけだしねぇ~、犬や猫とは明らかに違う獣。だけどやっぱり、テディベアは子供と大の仲良し、お友達。

現代はイメージが本質を打ち負かす時代。これまでもそうだったけど、今に比べたら可愛いもの。なにせ昔は全世界に噂話が駆け巡る、なんてツテがなかったもんねぇ~。それこそマウスが無かったでしょ。

本質は見えにくくて、イメージは見えやすい。本質は掴みにくくて、イメージは掴みやすい。本質はゴチャゴチャしてて、イメージはサクッと単純明快。本質は人々をケムに巻くことが出来るけど、イメージはもともと人に見える様に人が作るものだから、一旦ダーティーなレッテル張られちゃったらハイそれまでよ。逆にクリーンなイメージがインデックスされたなら世界だって席巻出来ちゃうトルネード!。この違いって驚愕もので脅威もの。

テクニカル的にはイメージ先行商法が大変賢く効果絶大。当たればナイスな高感度イメージが増幅を重ねて1人歩きの大成功。

イメージより本質で勝負出来るのは実用性が求められる物。便利で実用的でなければお話にならないもの。例えば車。イメージより本質。アメリカの大西部真っただ中、ロシアの大雪原の真っただ中、車がエンストしちゃったらアウト。命の危険すらあるからねぇ~。イメージなんて言ってらんない。

イメージと人間。これが一番やっかいで恐ろしい。ひとたび人間に付いたイメージを払拭するのは至難の業。ブラッド・ピットやジョニー・デップは善玉悪玉何でもござれの名優だけど、子供を残忍に殺す役、出来ると思います?。絶対ムリムリ、だって世間が絶対それを許さない。例え、役者として迫真の演技に挑戦したいから、と本人が崇高な理由を掲げたとしてもダメ。まず映画会社がOKしない。だって興行成績低迷は火を見るより明らかだから。良きパパ、家庭を大事にするキャラクターイメージの権化シュワルツネッガー、カリフォルニア知事選にこのイメージが関係しなかったとは到底思えないし、彼が知事退職後、映画復帰第1作目が麻薬のディーラーだなんて絶対世間が許さない。

映画 “ プリティー・ウーマン ” (1990年、ブエナ・ビスタ・ピクチャーズ)は何故当たったか。答えは明々白々。リアルな娼婦イメージを持つ女優を使わず、真逆のジュリア・ロバーツをヒロインに起用したから。だってジュリア・ロバーツといえばインテリ、かしこく健全、ホワイトカラーのイメージ有り有り。観客は誰もモト娼婦などとは思っておらず、彼女を現代版シンデレラに重ね合わせているのみ。イメージを逆手にとったワザありの1本、凄いッ。

 

 

◆写真タイトル / トッポジージョ

 

 

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