Title : お母さん、雨だよ
誰もが雨に濡れることを嫌う。氷雨ではなく温かな雨であっても。マシかどうかの違いだけ、でもやっぱり濡れたくない。
これが雪だとそうでもない。凄まじき積雪となる降り方なら別だが。
同じ水でも状態の違いで判断は変わる。外に出てゆくか、待つか。
ヤッカイごとに囲まれた。さあどうしよう。出ていくか、待つか。だが、待ってやり過ごす時間がない。
そのヤッカイごと、例えるなら雨か雪か。違いは大きく濡れるか濡れないか。
天から降る雨、雪は人的操作の及ばない世界。ヤッカイごとは人的操作の世界。雨を雪に変える知恵の問題ということになる。
雪に変えても問題は残る。積雪にならぬようにする。歩行に問題なしの範囲に留める。これは難題、確かにヤッカイ。
雨と雪の差は気温の高低。ならば金か有価証券のどちらで投資か、相続するか寄付するか、などなど…。
イジメ。これを雪だと世間は言う。雨に変わるのは被害者が自殺した時だと。
違う。最初からイジメというものはなく、強い攻撃である。本当の意味でのイジメという行為には、そもそも昔から殺意はない。
凄まじい積雪は命を奪う場合が多々生じる。ゆえに雪国の人々は細心の注意を払って冬をやり過ごす。デタラメに暮らして生き延びている訳ではない。
イジメという耳障りの良い言葉の裏に存在する殺意、それに対し幼き子らに雪国の知恵を自身でつけろというのか。
大抵の子は雨の中を出かけてゆく。命を守ろうとして土砂降りの中に。
ずぶ濡れで家路につく子。途中で雪に変わり、足を止め立ち尽くす子。
雨、雪、どちらでも同じ。その子には同じ。だって、ヤッカイごとなどという生易しいものではないのだから。
これは。このことは。