その日は八月の猛暑だった。富山の八尾だったし笹津だった。この日ボクは久しぶりに霊魂に遭遇した。それは何十年かぶりだったし、神通川にほど近い山道だった。カンカン照りの快晴だったし、ボクの全身には半端ない鳥肌が立った。辺りには人っ子ひとり居なかった。この体験は気のせいでもないし、幻聴でも幻覚でもなかった。おわら風の盆が始まる前だったし、気の早い里帰りのどなたかと遭遇したのかもしれなかった。
富山空港内レストラン喫茶でミックスサンドを何気に注文したボク。陽光ギンギラ照り付ける大きなガラス。ままま眩しい…。窓際に座ってしまったことを少々後悔するボクの目の前、突如置かれるミックスサンド。その具材の量に思わず目を疑う。破裂せんばかりの挟み様はどうだ!。しかもサンドイッチ自体の、この有り得ない量はどうだ!。
軽くつまむはずのサンドイッチ。ボクは半分残ったそれを注意深くビニール袋内に並べて配置し、移動中にサンドイッチが暴れ連獅子にならぬよう、そっとくるんでバッグに入れた。おもわぬ昼飯確保である。
空港タクシーに乗り込み「山と田んぼがあるところに行って下さい」
そこがどういうところなのか全く知らないし、特に目的があったわけでもない。富山は緑色のアマガエルより水色のアマガエルが多いという話を知人から聞いたので、ソレを見に富山へ行こうと。田んぼに半端ない数がいるというのであればすぐに見つかるわけだし、沢山見ることが出来る。写真撮影も出来るし、壁紙が青いアマガエルだというのも悪くない。
日帰りだから空港から遠い場所はダメだし、出来れば車で30~40分のところが良かった。タクシーの運転手さんはボクの注文に苦笑いしたし、ボクも苦笑いした。彼は笹津でいいかと聞いてきたし、ボクもそこへ行く流れなのだろうと頷いた。
笹津駅前で下車。ちょっとした商店街があり、確かに周りは山だった。ボクは適当に歩き始めたわけだし、さりとて地理に不案内なので迷わぬよう、大きな道路沿いを進むだけの方が良かった。目の前の大きな橋も同意した様子。
ちょっと歩き始めただけなのに、ドッと汗が吹き出しTシャツぐっしょり。これは空港へ戻る前に着替えなければならないと思う程だったし、実際にそうしたのだが…。
すぐに神通川が見えたし、それはビュンビュンひっきりなしに通過するマイカー道路より遥かに下を流れていた。まるで谷底。川幅は広く、スケールが大きい。何か引きずり込まれそうな怖さを感じたし、それはまんざら考え過ぎであるようにも思えなかった。15分程歩いたボクは眼下にダムを確認したし、地図を見ると神通第二ダムということであった。落下する水量はボクを一層怖がらせたし、同時にこのダムが帰りの目印になるとも思えた。ボクは早速山道を登り始めたし、駅前の自販機で買った缶コーラも、早速飲み始めなければならないほどの熱さ(暑さ)だった。
漠然と直線の登り道を考えていたのだが見当違い。ちょっと上ると先が全く見通せないほど極端なカーブ。その連続だったし、それはいつ果てるともなく延々続いた。途中誰とも一切遭遇しなかったし、車一台さえも通過しなかった。
次こそ頂上だろうと歯を食いしばりカーブを登りきると、チョビッと直線でまたカーブ。途中自販機の一つもなかったし、地図を広げると頂上はスキー場だということ。ボクはスキー場の大地に突っ伏して雪を口にかきこむことばかりを想像したし、1時間ほど歩いて休憩することにした。道路脇に出来ている日陰に座って靴を脱ぎ、しばしボンヤリしていると、カッコウ、カッコウと鳴き声がする。あれ何だっけあの鳴き声。キツツキだったろうかと考えたし、頭が熱さでやられて働かないことにも気づいた。喉が想像以上に渇き、飲み物も全くなかったし、適当に歩けばあるだろうと思っていた自販機もなかった。
15分ほど休み、それから気の進まないまま少し登り始め、幅1メートル程の下り道を見つけ、山を降りることにした。こんな山の上に田んぼはないし、アマガエルを見に来たのに何で自分が山を登っているのか理解出来ないし、登る途中に写真を撮りたくなるような景色も皆無だった。カンカン照りの強烈さだけは特筆に値する。もうダメだと思ったし、実際ダメだった。
下り道はコンクリートではなく土。周囲はこんもりと草木が生い茂っていてさっきの道路より遥かに楽な道行だった。コンクリートの照り返しがない。ふらふらしつつもグッショリ汗濡れした3枚目のタオルハンカチ握りしめ、汗拭くつもりが自分の汗を顔中に塗りたくっているだけのお粗末さだったし、絶望的な不快感だったし、なすすべなしだった。
次の日陰で休もうと、ふらつきながら下っていると平行な道へと至る。さっきまでの道幅2メートルから1メートルへ。それは身が細る思いのボクを象徴しているかのようだったし、ボクは何の小屋だか知らないが、4畳半ほどの敷地面積を誇っているであろう、古びたベニヤ板作りの小屋横日陰にヨロヨロと萎むように座り込む。火傷するほど、熱い…。
体育座りし、両腕を立てた膝上で組み、茹でダコのように真っ赤な顔をして、顔中吹き出す汗を拭く気力もなく、時計の針が3時を指しているのを確認したきり目を閉じてしまったボク。
バンバンバンバン!
突如、小屋のベニヤ板を叩く音に仰天、汗みどろのマブタをカッと開く。その音は確かに反対側面から聞こえた。慌てて自問自答する。何か気に障ることをしただろうか。小屋の横に座っているだけで中に侵入しているわけではない。ただ、座っているだけだ。ということは仮に文句をつけられても反論出来る。言いがかりだと。少し安心する。にしても驚いた。
全身を硬直させ誰かの次なるアクションを待つ。身構えているし、襲われた場合に備えて反撃する気構えも出来ている。1分。2分。3分…。
あまりの静寂さだし、人の気配もないし、もう耐えられないし、逃げずに立ち向かうしかないし、さっきの叩き方は明らかに敵対心露わな叩き方。下る先はそっち。音がした方。まさか上へ向かって引き返す気もないし。
意を決して立ち上がり、わざと相手に聞こえる様にGパンに付着した草を払う音を立てる。やおらバッグを肩に掛け、そちら側へと歩み出す。心臓がバクバクするので直射日光のむごさも感じない。横目で小屋側面をチラリと見やる。
誰も居ない。
?。
音を立てずに小屋の真裏に回ったな。
こうなりゃヤケだ。回り込んで顔を見てやる。草を雑にかき分け裏をソッと覗き込む。
居ない。
?。
結局ぐるりと小屋周りを見たし、おののきながらも小屋の中まで覗いてみた。中はカラッポ。小屋裏はビッシリ背の高い木々と雑草群、裏からは何処へも行けないはずだし、仮に無理矢理行くとすれば草をかき分ける大きな音を立てなければならない。無音での移動は50センチも無理な話。
そっちの先を音も立てずに引き返した?。そんな気配は全くなかったように思うが、結局そういうことだ。間違いなくアレは人が立てた音。ベニヤ板を拳で叩いた音だった。
まあいいや、と歩き出す。進む。四方八方を監視しながら進む。この道の両脇は林。傾斜して登りゆく斜面。雑草が生い茂ってはいるが、どれも低い。つまり小学1年生がしゃがんで隠れても発見されるは必須。
居ない。何処にも、居ない。少なくとも、こちらの視界、視野には入らない距離に隠れていることになる。
いずれにしても、もう行ってしまった。もういいや。早く降りてしまおう。
「おいッ!」
突如、ボクの背中に触れんばかりに接近した男が左耳真後ろで凄んだ!
仰天して荒々しく振り返る!!。
誰も いない
いいや居る!、ハッキリ断言出来る。何処だ!。360度に目を凝らす。
居ない。何処にも居ない。ボクにくっつきそうなほど接近していたのだから林に入れるはずがない。声をかけられ振り返るに要した時間は1秒もないのだから。
幻聴、 と いうことに なるが?
次の瞬間、大きく耐えがたい眩暈に襲われ、突如その場にトットットッと斜め倒れ。左腕を出して地べたにゴロンをかろうじて回避。
そのままその場で全身硬直化。身構える。起こるべき何かを息を殺して待つ。風がない。何の音もない。
5分もそうしていたが、急に何もかもイヤになり、白けきって立ち上がる。どうでもいいよ、バカバカしい。速足でスタスタ歩き始める。といっても疲労感で大した速度ではないのだが、
「おいッ!」
突如襲った再びの声に戦慄して立ち止まる!。今度は振り返れなかった。真後ろに誰かが居るのが見えたからだ。いや、実際には目視出来てはいない。だが、間違いなく見た。この目で、はなく、ボクの何かがそれを見た。という以外に説明のしようがない。
全身が総毛だっているのが分かる。もう完全に理解した。
今、ボクの真後ろに居るのは、人間ではない。動物でもない。
数分後、気配が消えたような気がして、ボクは素早く振り返った。
想像通り、誰も居ない。
ダムの見える道路に出る。もらった名刺に電話をかけタクシーを待つ。黄金の日差しが夕暮れを呼んでいる。吸い込まれそうな神通川の水面が鈍く光っている。
若い子の声だったように思う。
写真タイトル / 水
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