TVの視聴率がガンガンに落ち込んでいる。特に20代以下若者のテレビ離れは猛烈雪崩で歯止めは効かず、これまでの条件反射か手持無沙汰か、高齢者はテレビをONにはするものの、番組内容自体には余り執着せず、従ってCMスポンサーへの貢献度も低い。
消費の鬼は今や若者女子だけ。よってTV局はそこだけ狙ったピン・ポイント攻撃に特化した女子ウケ番組作りに精を出し、男性は締め出された形となった。よって幼児性、享楽性が高く、社会問題とは甚だ遊離した番組が目白押しとなり、それが一層TV離れを加速させてゆく、というオチ。
若い女子は短絡的、今を生きるだけのお気軽思考、とは年配者の大方意見。確かにそうだが彼女達にも悩みは山積、ヤロー共の様に深刻に考え自分を追い込み、ドツボにハマッてドッピンシャン、とはいかないだけだ。
つまりは、男より女のほうが生きるのが上手い。人生の難局をヒラリヒラリかわすのが上手い。難題に対して何の対抗策も講じず、ただひたすらに必殺の逃走あるのみ!。ゆえに男よりはストレス・フリー、ゆえに男より寿命も長い。
ゆえにマネする男子も徐々に増えてきた。女性化しちゃって草食系。いいんじゃないの別に。真っ向勝負のガチばっかりやって、ストレス過多の前のめり崩落よりは。ただし、行きは良い良い帰りは恐い。その代償も覚悟せねば。
若さの最大の弱点は老いた自分を想像出来ないってこと。例え出来ても頭の想像と現実のギャップは天と地ほども違うのだ。自分で自分をを頼れない人間は脆い(もろい)。弱い、なんてナマやさしいもんじゃない。
コンニャクを全力で踏み潰す。コンニャクはダメージを受けるが形状はしっかり保たれている。これが “ 弱い ” 。
カリッカリのトーストを全力で踏み潰せば粉々。これが “ モロイ ”。つまりは再生不能。
人生訓が必殺の逃亡。女子は前向き敵前逃亡、男子は後ろ向き逃亡。ゆえに女子はストレス・フリーで購買意欲にダメージなし。ゆえに男子はストレス過多でストレス・ヘヴィー。持ち物ナーンもなしの身軽身分で超軽量。そりゃあそうだ、女を守るために作られたのが男。守られるために作られたのが女。そもそも精神構造がまるで違うんだから、マネなんかしたって結果は全くまるで完膚なきまでに、違うってもんでありんしょう。
昔の人は言いました。泣く子は育つ、と。サメザメ泣けば即時に発散ストレス・フリー、心はいつも健康に。さすが先人の知恵、違うねぇ~。そんなわけで男より泣く回数の多い女子の心は男より健康。ウツ病、自殺者の男女比率が明白に物語っている。
◆ 男と女のお話 (久仁京介 / 作詞、水島正和 / 作曲)
ベッドで泣いてると 涙が耳に入るよ
昔を忘れてしまうには 素敵な恋をすることさ
◆ ひとり寝の子守唄 (加藤登紀子 / 作詞作曲)
ひとりで寝る時にはよ もみがら枕を 想い出がぬらすだろう 人恋しさに
◆ 酒と泪と男と女 (河島英五 / 作詞作曲)
おれは男 泣きとおすなんて出来ないよ 今夜も酒を煽って 眠ってしまうのさ
おれは男 泪を見せられないもの
泣けば官軍、泣かねば賊軍。泣かぬなら殺してしまえキリギリス、泣かぬなら泣かせてみようホトホトギスギス。泣かぬなら泣くまで待とうストレスでギスギスなんだねえ、これが!。女子の敵前逃亡を真似る進化形男子も、やはり泣きに泣くのはチョイト無理だろう。男だから、も多少はあるものの、泣けば傷つく自分を助長する、傷ついてしまった証も同然、怖くて泣けぬ、が理由ではなかろうか。或いは、心が石の巌となり、もはや情緒は蒸発したか。
◆さらば涙と言おう (阿久悠 / 作詞、鈴木邦彦 / 作曲)
頬をぬらす涙は 誰にもみせない こらえきれぬ時には 小雨に流そう
さみしさも悲しさも 幾たびか出会うだろう
だけどそんな時でも さらば涙と言おう
高度成長スーパー加速のさ中、社会が少年達に用意した模範教科書は、巨人の星や明日のジョー。そんなスポコン漫画全盛時代にあって、涙をこぼしちゃいけないは至極納得、公害問題、心の病などフッ飛ばす勢いの価値観だった。社会的な魂のスローガンは根性で、忌み嫌うべき言葉は性悪。今と真逆とは価値観は反転するものなのかなと…。ほどなくそんな現状に疑問を感じ、方向性を押し戻そうとする真逆の抵抗勢力も生まれ始める。そうだ、それこそが民主主義の天秤計りというものだ。河島英五いわく、
てんびんばかりは 重たい方に 傾くに決まっているじゃないかい
どちらも もう一方より重たいくせに どちらへも傾かないなんて おかしいよ
◆てんびんばかり (河島英五 / 作詞作曲)
◆帰らざる日々のために (山川啓介 / 作詞、いずみたく / 作曲)
愛する人がいるなら 求めるものがあるなら
何にも怖くはないさ そいつが青春
涙は心の汗だ たっぷり流してみようよ 二度と戻らない 今日のために
二度と戻らないの戻という字にサンズイを付けると涙なんだねぇ、これが!。
今の20代以下の男子には静止のイメージがある。ボクの私見で恐縮だが、静止という漢字を分解すると、青い争いを止める、とまァ、こうなるわけなんだ!。青春のもつれ合い、もがき合い、学びが出来る健全なケンカ、そんな行為が今の若者には希薄だ。止まっている。止まってしまっている。何が。成長が。気持ちが外に出る前に、喉元か何処かで止まってしまっている。寸止めより遥か遠くで。すなわち静か。
傷つくのを異様に恐れるイマドキの若者達。恐れて行動さえ出来ないのなら、せめて涙だけはガンガン流して欲しいと思う。何もかも忘れて水に流しましょう。と涙の意味は全く違う。涙は脳がストレスを体外に放出するための手段。つまりは膿を出すのと同じ。そう考えれば誰だって溜め込んでいるのはキモいハズ。
涙がこぼれないように上を向いて歩く。つまりは泣いている。しかしながら若者は皆、うつむいて歩いている。つまりは泣く気がないのか。独りの部屋ではうつむいていないのか。うつむき癖がついていなければいいが。
◆ 大きな玉ねぎの下で (サンプラザ中野 / 作詞、嶋田陽一 / 作曲)
アンコールの拍手の中 飛び出した 僕は一人 涙を浮かべて
千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば 澄んだ空に 光る玉ねぎ
だがだがしかし、近年は少し怪しくなってきてはいないか、女子の涙。泣くのがサガの女子さえも、涙を合図にともすれば自身が崩落するやもしれぬ感覚に、ついぞ涙を怖れて “ お笑い一辺倒病 ” にどっぷり浸っている昨今ではあるまいか。この推測が当たっているならば、もともと箸が転んでも可笑しい年頃ゆえのお笑い渇望、それゆえTV番組はソレ一色、と成りにけりではあるまいか。だとすればお笑いに乗らない男子のTV離れは自明の理。
若者は単独でお茶することが多い。
お茶は英語でTEA。お茶する人はTEAR(英語ではありませんので念の為)。TEARは英語で涙。ゆえにお茶する人なら涙の人。これこそが真の泣ける話。Xjapanのトシだって歌ってるじゃないの。
涙という字の戻は、大きな戸と書く。
これすなわち泣いて泣いて泣くだけ泣いて、やがて大きくなって帰って来いよ、の意味だと思うんだけど。
ダメ?。
◆写真タイトル / tears
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