立ち尽くす冬由季 / 私にとっての出会い系サイト / 寄せては返す人並みの中で

Title : 冷えた後にやってくる楽しみ。カスタードプリン。

 

 

★冬由季。ふゆき。このエピソードの主人公。

 

 

時代遅れだというのに、肩先まで伸びた冬由季のワンレングス・ヘアは

彼女の切れ長の目と誘いかけ合う様にお似合い。

出勤退社の路(みち)すがら、冬由季は

勇気ある男性から声をかけられることをたびたび経験するが、

それは、彼らに決して軽くはない失望感を与え続けるだけだ。

 

「急いでます。ごめんなさい」

 

を幾度となく繰り返すうち、いつしか彼女は

それを言い終え、足早に雑踏に消えながら

誰に向かってでもなく

 

「大根女優」と呟く癖がついた。

 

それはたった今、自身の身に起きたハプニングへの

ピリオドのつもりだったのかもしれない。いずれにせよ、

常に冬由季は相手の顔を決して見ようとはしなかった、というよりは、

うつむいて自分の顔を見せないように心掛けていた。

深夜にベッドで寝がえりをうつ拍子に、ふと目覚めた時、

自分の顔を見ようと思いつく者など居ない。

それほど、彼女には異性に自分の顔を見せることなど

必要のないことだった。

 

その日は母との不可欠な所用があり、珍しく午後出社となったOLは、

いつもと全く違う景色の展開する駅構内を歩きながら

 

“ あそこにベーカリーがある…。今初めて気が付いたな…。

目隠しされてたってわけね ”

 

と小さく呟く。常に私の周りで交錯する目隠し。

それは雑踏という名の雪崩 ( なだれ ) とも言える。

注意を怠らなければやり過ごせる流れ。

小さな時もあれば大きな時もある。

冬由季はパンプスでそれをかわす。巧みに。

 

いつものホームへの階段を降り始めようとした時、

電車の到着音が聞こえた気がして彼女は

慌てて両耳からイヤホンを外す。

突如、背後から押し寄せる人並み。それらは

スレスレに冬由季の身体をかわしながら、

せわしない靴音を立てて電車サイドへとイビツに傾いてゆく。

 

彼女も流れに乗ろうとして降り始めた時、

肩掛けの黒皮巾着バッグが傾き、拍子に財布が

五段ほど先目がけてスッ飛ぶのが見えた。

宙に跳ね上がって開いた財布の口から

複数の小銭が全て飛び出す。それはコンクリートの階段上で、

弾けたクラッカーの花紙吹雪のように

四方八方へとバラけ走ってゆく。

 

しまった!と思う間もなく

背後から殺気立つ第二波。

第一波より小さく、流れの速さは三倍。

全速で泳ぎ去る水泡の集合体は、発車音にあおられて

飛び散る小銭を気にも留めず、

次々車両の中に吸い込まれてゆく。

母のために小銭を引き受け両替えした後、

うっかり財布の口を閉め忘れたのだろうか…。

 

すっかり人が失せると広い階段の全貌が再び視界に広がる。

何気なく見下ろす階段下、

スーツ姿の1人の男性が目に留まった。

彼は突然跪き(ひざまずき)、鮮やかな身のこなしで

素早く散乱している小銭を拾い始めた。

アッ!

どうしてよいか一瞬ひるみはしたものの、

彼女も続いて目につく小銭を拾い始める。

スカートなので思うように拾えない。

瞬く間に彼は小銭を回収し、丹念に階段を探った後、

足早に彼女に向かって駆け上がってくる。

相対する状況に、冬由季は顔をそむけることが出来ない。

 

“ 誘ってくる!、きっと。断らなきゃ ”。全身に金縛りのような緊張が…。

 

「全部だと思います」

「ア、ありがとうございます」

 

一瞬視界に入った彼の顔に、好ましく美しい誠実さを見出し驚く冬由季。

次の瞬間、彼は

少しはにかんだ笑顔だけを残し、まるでアスリートのように

軽やかに階段を駆け上がり、たちまちのうちに

目で追う視界から消滅した。

 

 

揺れる。今日はいつもより車内が揺れる。

ドア脇に身を寄りかからせながら、冬由季は一つの考えに囚われ続けている。

 

あの時、あなたが誘ってくれたら断らなかったのに…。

 

その言葉は、幾度となく彼女の心の中の階段で弾け飛ぶ。

リフレインする。

冬由季は分かっていた。

あのヒトが自分にとっての運命だったのだと。

そのヒトだったのだと。

私はたった1度のチャンスを棒に振ってしまったのか。

 

 

2年が経った。

今も雑踏に彼を探す。

切なく、やるせなく、すがるようなひたむきさで。

早い流れの時、緩い(ゆるい)時、大きな雪崩の時でさえ、

 

そうしている自分に気が付く時がある。